第十八帖 松風(まつかぜ)源氏物語
夫人のそばへ寄って、 「ほんとうはね、かわいい子を見て来たのですよ。 そんな人を見ると やはり前生の縁の浅くないということが思われたのですがね、 とにかく子供のことはどうすればいいのだろう。 公然私の子供として扱うことも世間へ恥ずかしいことだし…
🪷【源氏物語568 第18帖 松風32】紫の上が、明石の上への手紙を見ようともしないのを見て、「見ないようにしていて、目のどこかであなたは見ているじゃありませんか」と溢れるような愛嬌で話しかける源氏。
その晩は御所で宿直《とのい》もするはずであるが、 夫人の機嫌《きげん》の直っていなかったことを思って、 夜はふけていたが源氏は夫人をなだめるつもりで帰って来ると、 大井の返事を使いが持って来た。 隠すこともできずに源氏は夫人のそばでそれを読ん…
二条の院に着いた源氏はしばらく休息をしながら 夫人に嵯峨《さが》の話をした。 「あなたと約束した日が過ぎたから私は苦しみましたよ。 風流男どもがあとを追って来てね、 あまり留めるものだからそれに引かれていたのですよ。疲れてしまった」 と言って源…
『めぐりきて 手にとるばかり さやけきや 淡路の島の あはと見し月』 これは源氏の作である。 『浮き雲に しばしまがひし 月影の すみはつるよぞ のどけかるべき』 頭中将《とうのちゅうじょう》である。 右大弁は老人であって、 故院の御代《みよ》にも睦《…
清涼殿での音楽よりも、 場所のおもしろさの多く加わったここの管絃楽に 新来の人々は興味を覚えた。また杯が多く巡った。 ここには纏頭《てんとう》にする物が備えてなかったために、 源氏は大井の山荘のほうへ、 「たいそうでないの纏頭品があれば」 と言…
大井の野に残った殿上役人が、 しるしだけの小鳥を萩《はぎ》の枝などへつけて あとを追って来た。 杯がたびたび巡ったあとで 川べの逍遥《しょうよう》を危《あや》ぶまれながら 源氏は桂の院で遊び暮らした。 月がはなやかに上ってきたころから音楽の合奏…
りっぱな風采の源氏が静かに歩を運ぶかたわらで 先払いの声が高く立てられた。 源氏は車へ頭中将《とうのちゅうじょう》、 兵衛督《ひょうえのかみ》などを陪乗させた。 「つまらない隠れ家を発見されたことはどうも残念だ」 源氏は車中でしきりにこう言って…
姫君が手を前へ伸ばして、 立っている源氏のほうへ行こうとするのを見て、 源氏は膝《ひざ》をかがめてしまった。 「もの思いから解放される日のない私なのだね、 しばらくでも別れているのは苦しい。 奥さんはどこにいるの、 なぜここへ来て別れを惜しんで…
三日目は京へ帰ることになっていたので、 源氏は朝もおそく起きて、 ここから直接帰って行くつもりでいたが、 桂の院のほうへ高官がたくさん集まって来ていて、 この山荘へも殿上役人がおおぜいで迎えに来た。 源氏は装束をして、 「きまりの悪いことになっ…
姫君の顔からもまた目は離せなかった。 日蔭《ひかげ》の子として成長していくのが、 堪えられないほど源氏はかわいそうで、 これを二条の院へ引き取って できる限りにかしずいてやることにすれば、 成長後の肩身の狭さも救われることになるであろうとは 源…
源氏は御堂《みどう》へ行って 毎月十四、五日と三十日に行なう普賢講《ふげんこう》、 阿弥陀《あみだ》, 釈迦《しゃか》の念仏の三昧《さんまい》のほかにも 日を決めてする法会《ほうえ》のことを 僧たちに命じたりした。 堂の装飾や仏具の製作などのこと…
「一度捨てました世の中へ帰ってまいって 苦しんでおります心も、お察しくださいましたので、 命の長さもうれしく存ぜられます」 尼君は泣きながらまた、 「荒磯《あらいそ》かげに心苦しく存じました二葉《ふたば》の松も いよいよ頼もしい未来が思われます…
東の渡殿《わたどの》の下をくぐって来る流れの筋を 仕変えたりする指図《さしず》に、 源氏は袿《うちぎ》を引き掛けたくつろぎ姿でいるのが また尼君にはうれしいのであった。 仏の閼伽《あか》の具などが縁に置かれてあるのを見て、 源氏はその中が尼君の…
なお修繕を加える必要のある所を、 源氏はもとの預かり人や新たに任命した家職の者に命じていた。 源氏が桂の院へ来るという報《しら》せがあったために、 この近くの領地の人たちの集まって来たのは 皆そこから明石の家のほうへ来た。 そうした人たちに庭の…
乳母《めのと》も 明石へ立って行ったころの衰えた顔はなくなって 美しい女になっている。 今日までのことを いろいろとなつかしいふうに話すのを聞いていた源氏は、 塩焼き小屋に近い田舎の生活をしいてさせられてきたのに 同情するというようなことを言っ…
微行《しのび》で、 しかも前駆には親しい者だけを選んで 源氏は大井へ来た。 夕方前である。 いつも狩衣《かりぎぬ》姿をしていた明石時代でさえも 美しい源氏であったのが、 恋人に逢うがために引き繕った直衣《のうし》姿は まばゆいほどまたりっぱであっ…
夫人は桂の院という別荘の 新築されつつあることを聞いたが、 そこへ明石の人を迎えたのであったかと気づくと うれしいこととは思えなかった。 「斧《おの》の柄を新しくなさらなければ (仙人《せんにん》の碁を見物している間に、 時がたって気がついてみ…
横になっていた尼君が起き上がって言った。 身を変へて 一人帰れる 山里に 聞きしに似たる 松風ぞ吹く 女《むすめ》が言った。 ふるさとに 見し世の友を 恋ひわびて さへづることを 誰《たれ》か分くらん こんなふうにはかながって 暮らしていた数日ののちに…
山荘は風流にできていて、 大井川が明石でながめた海のように前を流れていたから、 住居《すまい》の変わった気もそれほどしなかった。 明石の生活がなお近い続きのように思われて、 悲しくなることが多かった。 増築した廊なども趣があって 園内に引いた水…
車の数の多くなることも人目を引くことであるし、 二度に分けて立たせることも 面倒なことであるといって、 迎えに来た人たちもまた 非常に目だつことを恐れるふうであったから、 船を用いてそっと明石親子は立つことになった。 午前八時に船が出た。 昔の人…
思いがけず源氏の君を婿に見る日が来たのであるが、 われわれには身分のひけ目があって、 よいことにも悲しみが常に添っていた。 しかし姫君がお生まれになったことで 私もだいぶ自信ができてきた。 姫君はこんな土地でお育ちになってはならない 高い宿命を…
「私は出世することなどを思い切ろうとしていたのだが、 いよいよその気になって地方官になったのは、 ただあなたに物質的にだけでも 十分尽くしてやりたいということからだった。 それから地方官の仕事も私に適したものでないことを いろんな形で教えられた…
「行くさきを はるかに祈る 別れ路《ぢ》に たへぬは老いの 涙なりけり 不謹慎だ私は」 と言って、 落ちてくる涙を拭《ぬぐ》い隠そうとした。 尼君が、京時代の左近中将の良人《おっと》に、 「もろともに 都は出《い》でき このたびや 一人野中の 道に惑は…
出立の日の夜明けに、 涼しい秋風が吹いていて、 虫の声もする時、 明石の君は海のほうをながめていた。 入道は後夜《ごや》に起きたままでいて、 鼻をすすりながら仏前の勤めをしていた。 門出の日は縁起を祝って、 不吉なことはだれもいっさい避けようとし…
これまでもすでに同じ家には住まず 別居の形になっていたのであるから、 明石が上京したあとに 自分だけが残る必要も認めてはいないものの、 地方にいる間だけの仮の夫婦の中でも 月日が重なって馴染《なじみ》の深くなった人たちは 別れがたいものに違いな…
源氏物語583 第18帖 松風7 です。表題間違えてすみません 免れがたい因縁に引かれて いよいよそこを去る時になったのであると思うと、 女の心は馴染《なじみ》深い明石の浦に 名残《なごり》が惜しまれた。 父の入道を一人ぼっちで残すことも苦痛であった。 …
惟光《これみつ》が源氏の隠し事に関係しないことはなくて、 明石の上京の件についても 源氏はこの人にまず打ち明けて、 さっそく大井へ山荘を見にやり、 源氏のほうで用意しておくことは皆させた。 「ながめのよい所でございまして、 やはりまた海岸のよう…
「私のほうでは田地などいらない。 これまでどおりに君は思っておればいい。 別荘その他の証券は私のほうにあるが、 もう世捨て人になってしまってからは、 財産の権利も義務も忘れてしまって、 留守居《るすい》料も払ってあげなかったが、 そのうち精算し…
「もう長い間持ち主がおいでにならない別荘になって、 ひどく荒れたものですから、 私たちは下屋《しもや》のほうに住んでおりますが、 しかし今年の春ごろから内大臣さんが 近くへ御堂《みどう》の普請をお始めになりまして、 あすこはもう人がたくさん来る…
入道夫人の祖父の中務卿《なかつかさきょう》親王が 昔持っておいでになった別荘が 嵯峨《さが》の大井川のそばにあって、 宮家の相続者にしかとした人がないままに 別荘などもそのままに荒廃させてあるのを思い出して、 親王の時からずっと預かり人のように…