🪷平家物語 The Tale of the Heike
まもなく、陰謀の一味の面々、 近江中将入道蓮浄、法勝寺執行俊寛僧都、山城守基兼、 式部大輔雅綱、平判官康頼、宗判官信房、新平判官資行らが、 続々と捕えられて、西八条に連行されてきた。 一味うたるの報に、 西光法師は、もちろん、陰謀のばれた事を覚…
翌くる六月一日の未明、清盛は、 検非違使安倍資成《けびいしあべのすけなり》を召し、 院の御所への使いを命じた。 資成は御所に着くと、 大膳大夫信業《だいぜんのだいふのぶなり》を呼んで清盛の伝言を、 法皇に伝えてくれるように頼んだ。 「わが君の仰…
額に汗をみなぎらせ、真蒼《まっさお》な顔に息使いも荒く、 西八条の邸に入ってきた行綱に、 家来達も驚いて、早速、清盛の所に知らせた。 「何、行綱だと? めったに来もしない奴が、 又何でこんな夜中にやって来たんだ? とにかくおそいから、わしは逢わ…
山門の衆徒が、前座主《ざす》の流罪を妨害して、 山へ連れ戻した知らせは、後白河法皇をひどく怒らせた。 「山門の大衆どもは、勅命を何と心得えて、 このように言語道断のことをするのだろうか?」 側に侍《はべ》っていた西光法師も、 前座主帰山の知らせ…
驚いたのは、明雲大僧正である。 元々、道理一点ばりの人だからここに及んでも、 喜ぶより先に、この事件の行末を気にかけていた。 「私は、法皇の勅勘を受けて流される罪人なのですから、 少しも早く、都の内を追い出されて、 先を急がねばならぬ身です。 …
この明雲大僧正は、 久我大納言顕通《こがのだいなごんあきみち》の子で、 仁安《にんあん》元年座主となり、 当時天下第一と言われる程の智識と高徳を備えた人で、 上からも下からも、尊敬されていた人だったが、 ある時、陰陽師《おんようし》の安倍泰親《…
治承元年五月五日、叡山の座主〈ざす〉、明雲《めいうん》大僧正は、 宮中の出入りを差しとめられた。 同時に、天皇平安の祈りを捧げるために預っていた、 如意輪観音《にょいりんかんのん》の本尊も取上げられた。 更に検非違使庁《けびいしのちょう》を通…
加賀守師高、目代師経の断罪を度々叫び続けていたのにも拘らず、 一向に沙汰のないのにしびれを切らした山門の僧兵達は、 再び実力で、事を処理する決心を固めた。 折柄行われる予定の日吉《ひえ》の祭礼をとりやめると、 安元《あんげん》三年四月、御輿を…
僧兵の引揚げた後、取り残された神輿について、 俄かに、公卿会議が開かれた。 とにかく、いささか、不気味なお土産《みやげ》だけに、 いくたの論議が繰り返されたが、 結局、保延《ほうえん》四年神輿入洛《じゅらく》の前例にならって、 祇園の神社に奉置…
満願の夜、八王子の社の参詣人の一人で、 奥州の方から上京してきた少年が、突然、気を失って倒れた。 人々がいろいろ手を尽して介抱すると、 まもなく息を吹き返したが、 今度は、よろよろっと起き上ると、 人々の呆然とした顔を尻目に、舞を舞い始めた。 …
藤原氏の専横を抑え、院政の始りを開いた程の、 豪気な帝であった故白河院が、 「賀茂川の水、双六《すごろく》の骰《さい》、 比叡の山法師、これだけは、いかな私でも手に負えない」 といって嘆いたという話がある。 山門の横暴振りは他にも伝わっている。…
安元《あんげん》三年三月五日、 藤原師長《もろなが》は太政大臣、 その後を重盛が襲って内大臣に任命された。 当然内大臣になるべき、 大納言 定房《さだふさ》を越えての栄進であった。 ところで話は二年程さかのぼって安元元年 加賀守《かがのかみ》に任…
ところで、成親と、動機こそ違え、志を同じくする者は、 まだ幾人かあった。 彼らがいつも好んで寄り集りの場所にしたのは、鹿ヶ谷にある、 これも同志の一人 俊寛《しゅんかん》の山荘である。 ここは、東山のふもとにあり、 後は三井寺に続いた、要害堅固…
思い掛けぬ出来事があって、天皇元服の決め事も伸びのびになっていたが、 二十五日に無事に行われた。 基房は、太政大臣に昇任したが、 何となく割り切れない昇級でもあった。 年も明けて、嘉応三年正月、無事に元服が済み、 清盛の娘の徳子(後の建礼門院)…
嘉応《かおう》元年七月十六日、後白河院が出家された。といっても、今まで通り、政務は、続けられていたから、別に変りはなかった。益々わがまま一方になる平家のやり口については、心の内で、何かとご不満を感じていられた様子だったが、それを公けにされ…
その年は喪中のため即位の行事も取やめになったが、暮の二十四日、東の御方、建春門院《けんしゅんもんいん》の腹になる、後白河院の皇子に親王の宣旨《せんじ》があり、明けて、年号が変って仁安《にんあん》となった。この年の十月、この皇子が東宮になら…
二条帝の葬儀の際の、興福寺と延暦寺の争いは比叡山の僧兵が、 大挙して山を下るという噂《うわさ》が拡がった。 この時誰がいい出したのか、 「何でも、後白河院が、平家追討を叡山の坊主に申付けられたって話だぞ」 といったたぐいの噂が、まことしやかに…
永万《えいまん》元年の春頃から、 病みつき勝ちだった天皇の容態が急変し、 六月には、 大蔵大輔伊岐兼盛《おおくらのたいふいきのかねもり》の娘に生ませた 第一皇子に位を譲られた。 間もなく七月、二十三歳という若さで世を去った。 時に新天皇は二歳と…
とかく戦乱がうち続き、世の中が騒然としてくると、 倫理とか、道徳といったものが、無視されがちである。 平家一門の栄耀栄華《えいようえいが》の陰には、 敗戦の不運に泣く源氏の将兵があり、 又、天皇と上皇は、 互にけんせいし合いながら、政権をねらう…
仏《ほとけ》も昔は凡夫なり 我等も遂には仏なり。 何《いず》れも仏性《ぶっしょう》具《ぐ》せる身を 隔《へだ》つるのみこそ悲しけれ。 俗謡《ぞくよう》に事よせて、切々と歌い続ける妓王の姿は、 並みいる人の涙をそそるものがあった。 清盛も少しは気…
別れるとき、妓王は、居間の障子に一首の歌をかきつけた。 もえ出るもかるるも同じ野辺の草 いずれか秋にあわではつべき 今は得意絶頂の仏さま、 貴女《あなた》だっていつ何時、 私みたいなことにはなりかねないかも知れませんよ。 それは、妓王の精一杯の…
邸を出ようとしていた仏は、たちまち呼び返されて、 清盛の前に連れて来られた。逢ってみると、 何せ、今をときめく白拍子である。 年は若いし、器量は良いし、その上、持ち前の度胸のよさで、 清盛の前に出ても、ハキハキと受け答えする様子が、 いかにも溌…
当時、京都には、妓王、妓女《ぎじょ》と呼ばれる、 白拍子《しらびょうし》の、ひときわ衆に抜きん出た姉妹があった。 その母も刀自《とじ》と呼ばれ、昔、白拍子であった。 清盛が目をつけたのは、姉の妓王で、片時も傍を離さずに寵愛していた。 おかげで…
平家一族は、高位、高官の顕職を、ほしいままにし始めた。 一寸見廻しただけでも、長男 重盛《しげもり》は、 内大臣《ないだいじん》兼 左大将《さだいしょう》、 次男 宗盛《むねもり》は、中納言《ちゅうなごん》右大将、 三男|知盛《とももり》が三位《…
清盛は、五十一歳の時、出家し、浄海《じょうかい》と名乗った。 大病にかかったのが、きっかけで、 さしもの彼も、少しばかり、気が弱くなったらしい。 しかし、たちまち、病は全快、彼はつるつる頭を撫でながら、 「まだ当分生きられるぞ」 といってほくそ…
仁平《にんぺい》三年正月、忠盛は、五十八歳で死に、 息子の清盛《きよもり》が、跡を継いだ。 清盛は、父親にもまして、才覚並々ならぬ抜目のない男だったらしい。 保元《ほげん》、平治《へいじ》の乱と、 権力者の内紛に、おちょっかいを出しながら、 自…
戦場で鍛え上げた忠盛の目は、宮中のうす暗いところで、 かすかに人の気配のするのを敏感に感じ取った。 彼はやおら、刀を抜き放つと、 びゅん、びゅんと振り廻《まわ》したからたまらない。 大体が、臆病者揃いの公卿たちは、 闇夜《やみよ》にひらめく一閃…
昔の権力者は、地位が安定してくるとやたらに、 お寺とか、お墓とかを建てる習慣があったらしい。 人力では及びのつかない、神仏の加護を借りて、 権力の座にいつまでも とどまることを願うという心理にもとづくものである。 鳥羽院もかねがね三十三間の御堂…
祇園精舎《ぎおんしょうじゃ》の鐘の声、 諸行無常の響《ひびき》あり。 娑羅双樹《しゃらそうじゅ》の花の色、 盛者《しょうじゃ》必衰の理《ことわり》をあらわす。 おごれる人も久しからず、唯、春の夜の夢のごとし。 猛《たけ》きものもついにはほろびぬ…