第一帖 桐壺(きりつぼ)源氏物語
光源氏の誕生から12歳まで帝(桐壺帝)から大変な寵愛を受けた桐壺更衣。二人の間には輝くように美しい皇子が生まれたが、 他の妃たちの嫉妬や嫌がらせが原因か病気がちだった更衣は、3歳の皇子を残して病死する。これを深く嘆く帝を慰めるために、亡き更衣…
光源氏の誕生から12歳までを描く。 どの帝の御代であったか、それほど高い身分ではない方で、 帝(桐壺帝)から大変な寵愛を受けた女性(桐壺更衣)がいた。 二人の間には輝くように美しい皇子が生まれたが、 他の妃たちの嫉妬や嫌がらせが原因か病気がちだ…
その時分に高麗人《こまうど》が来朝した中に、上手《じょうず》な人相見の者が混じっていた。帝はそれをお聞きになったが、宮中へお呼びになることは亭子院のお誡《いまし》めがあっておできにならず、だれにも秘密にして皇子のお世話役のようになっている…
日本を学び、日本を知る 1000年前の日本では、女性の才能が開花しました。紫式部の源氏物語は、日本の文化や芸術に大きな影響を与えました その夜源氏の君は左大臣家へ婿になって行った。 この儀式にも善美は尽くされたのである。 高貴な美少年の婿を大臣は…
源氏の君の美しい童形《どうぎょう》を いつまでも変えたくないように帝は思召したのであったが、 いよいよ十二の歳《とし》に元服をおさせになることになった。 その式の準備も何も帝御自身でお指図《さしず》になった。 前に東宮の御元服の式を 紫宸殿《し…
お后は、そんな恐ろしいこと、 東宮のお母様の女御《にょご》が並みはずれな強い性格で、 桐壺の更衣が露骨ないじめ方をされた例もあるのに、 と思召して話はそのままになっていた。 そのうちお后もお崩《かく》れになった。 姫宮がお一人で暮らしておいでに…
月も落ちてしまった。 『雲の上も 涙にくるる 秋の月 いかですむらん 浅茅生《あさぢふ》の宿』 命婦が御報告した故人の家のことを なお 帝は想像あそばしながら起きておいでになった。 右近衛府《うこんえふ》の士官が 宿直者の名を披露するのをもってすれ…
御所へ帰った命婦は、 まだ宵のままで御寝室へはいっておいでにならない帝を気の毒に思った。 中庭の秋の花の盛りなのを愛していらっしゃるふうをあそばして 凡庸でない女房四、五人をおそばに置いて話をしておいでになるのであった。 このごろ始終帝の御覧…
「子をなくしました母親の心の、 悲しい暗さがせめて 一部分でも晴れますほどの話をさせていただきたいのですから、 公のお使いでなく、 気楽なお気持ちでお休みがてらまたお立ち寄りください。 以前はうれしいことでよくお使いにおいでくださいましたのでし…
「娘を死なせました母親が よくも生きていられたものというように、 運命がただ恨めしゅうございますのに、 こうしたお使いが荒《あば》ら屋へおいでくださると またいっそう自分が恥ずかしくてなりません」 と言って、 実際堪えられないだろうと思われるほ…
その年の夏のことである。 御息所《みやすどころ》 皇子女《おうじじょ》の生母になった更衣はこう呼ばれるのである はちょっとした病気になって、 実家へさがろうとしたが帝はお許しにならなかった。 どこかからだが悪いということはこの人の常のことになっ…
住んでいる御殿《ごてん》は 御所の中の東北の隅《すみ》のような桐壺《きりつぼ》であった。 幾つかの女御や更衣たちの御殿の廊《ろう》を 通い路《みち》にして 帝がしばしばそこへおいでになり、 宿直《とのい》をする更衣が上がり下がりして行く桐壺であ…
どんなに惜しい人でも遺骸《いがい》は遺骸として扱われねばならぬ、 葬儀が行なわれることになって、 母の未亡人は遺骸と同時に火葬の煙になりたいと泣きこがれていた。 そして葬送の女房の車にしいて望んでいっしょに乗って 愛宕《おたぎ》の野にいかめし…
更衣は初めから 普通の朝廷の女官として奉仕するほどの軽い身分ではなかった。 ただお愛しになるあまりに、 その人自身は 最高の貴女《きじょ》と言ってよいほどのりっぱな女ではあったが、 始終おそばへお置きになろうとして、 殿上で音楽その他のお催し事…
どの天皇様の御代《みよ》であったか、 女御《にょご》とか更衣《こうい》とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、 最上の貴族出身ではないが 深い御愛寵《あいちょう》を得ている人があった。 最初から自分こそはという自信と、 親兄弟の勢力に恃《たの》む所…