2024-02-01から1ヶ月間の記事一覧
源氏物語【第20帖 朝顔 Asagao】 光源氏32歳の秋から冬の話。 藤壺の死去と同じ頃、源氏の叔父である桃園式部卿宮が死去したので、 その娘、朝顔は賀茂斎院を退いて邸にこもっていた。 若い頃から朝顔に執着していた源氏は、 朝顔と同居する叔母女五の宮の見…
西の対に帰った源氏は すぐにも寝室へはいらずに物思わしいふうで庭をながめながら、 端の座敷にからだを横たえていた。 燈籠《とうろう》を少し遠くへ掛けさせ、 女房たちをそばに置いて話をさせなどしているのであった。 思ってはならぬ人が恋しくなって、…
お言葉尻《じり》の しどけなくなってしまう様子などの可憐《かれん》さに、 源氏は思わず規《のり》を越した言葉を口に出した。 「君もさは 哀れをかはせ 人知れず わが身にしむる秋の夕風 忍びきれないおりおりがあるのです」 宮のお返辞のあるわけもない…
「人聞きのよい人生の望みなどはたいして持ちませんが、 四季時々の美しい自然を生かせるようなことで、 私は満足を得たいと思っています。 春の花の咲く林、秋の野のながめを 昔からいろいろに優劣が論ぜられていますが、 道理だと思って、 どちらかに加担…
【源氏物語612 第19帖 薄雲43】源氏は、自分の望みは閑散な身になって 風流三昧の暮らしたいと言った。女御のお返事はおおようで、源氏の心それに惹きつけられてしまって、日の暮れるまでとどまっていた。
「今の私の望みは閑散な身になって 風流三昧《ざんまい》に暮らしうることと、 のちの世の勤めも十分にすることのほかはありませんが、 この世の思い出になることを一つでも残すことのできないのは さすがに残念に思われます。 ただ二人の子供がございますが…
【源氏物語611 第19帖 薄雲42】源氏は「恋愛問題のほうが大切に思われる私なのですから、どんな抑制を心に加えて貴女の御後見だけに満足していることか、それをご存じになっていますか?」と女御に伝えた。
「私の何もかもが途中で挫折《ざせつ》してしまったころ、 心苦しくてなりませんでしたことが どうやら少しずつよくなっていくようです。 今東の院に住んでおります妻は、 寄るべの少ない点で絶えず私の気がかりになったものですが、 それも安心のできるよう…
「私は過去の青年時代に、 みずから求めて物思いの多い日を送りました。 恋愛するのは苦しいものなのですよ。 悪い結果を見ることもたくさんありましたが、 とうとう終《しま》いまで 自分の誠意がわかってもらえなかった二つのことがあるのですが、 その一…
御簾《みす》の中へ源氏ははいって行った。 几帳《きちょう》だけを隔てて王女御はお逢いになった。 「庭の草花は残らず咲きましたよ。 今年のような恐ろしい年でも、 秋を忘れずに咲くのが哀れです」 こう言いながら柱によりかかっている源氏は美しかった。…
【源氏物語608 第19帖 薄雲39】斎宮の女御は源氏の後援で安泰である。源氏は、女院のために源氏は続いて精進をしている。手に掛けた数珠《じゅず》を見せぬように袖に隠した様子などが艶《えん》であった。
斎宮《さいぐう》の女御《にょご》は予想されたように 源氏の後援があるために後宮のすばらしい地位を得ていた。 すべての点に 源氏の理想にする貴女《きじょ》らしさの備わった人であったから、 源氏はたいせつにかしずいていた。 この秋女御は御所から二条…
標題は源氏物語606になってますが、正しくは【源氏物語607 第19帖 薄雲38】ですすみません 帝はそれも御不満足なことに思召して、 親王になることをしきりにお勧めあそばされたが、 そうして帝の御後見をする政治家がいなくなる、 中納言が今度大納言になっ…
五月雨の夜、17歳になった光源氏のもとに、頭中将が訪ねてきた。さらに左馬頭(さまのかみ)と藤式部丞(とうしきぶのじょう)も交えて、4人で女性談義をすることになる。その後、紀伊守の屋敷に方違えのために訪れた源氏は、伊予介の後妻である、前日話題と…
光源氏の誕生から12歳まで帝(桐壺帝)から大変な寵愛を受けた桐壺更衣。二人の間には輝くように美しい皇子が生まれたが、 他の妃たちの嫉妬や嫌がらせが原因か病気がちだった更衣は、3歳の皇子を残して病死する。これを深く嘆く帝を慰めるために、亡き更衣…
1天智天皇 (詳しくは↓のブログのリンクに書いてあります) #秋の田のかりほの庵の苫を荒みわがころも手は露に濡れつつ https://syounagon.hatenablog.com/entry/2022/08/19/171354 2持統天皇 #春すぎて夏来にけらし白たへのころもほすてふあまの香具山 …
秋の除目《じもく》に源氏を太政大臣に任じようとあそばして、 内諾を得るためにお話をあそばした時に、 帝は源氏を天子にしたいかねての思召しを はじめてお洩《も》らしになった。 源氏はまぶしくも、恐ろしくも思って、 あるまじいことに思うと奏上した。…
帝は王命婦にくわしいことを尋ねたく思召したが、 今になって女院が秘密を秘密とすることに苦心されたことを、 自分が知ったことは命婦にも思われたくない、 ただ大臣にだけほのめかして、 歴史の上にこうした例があるということを 聞きたいと思召されるので…
【源氏物語604 第19帖 薄雲35】喪服姿の源氏の顔と竜顔とは常よりも いっそうよく似て ほとんど同じもののように見えた。僧都がお話し申し上げたほど明確に秘密を帝がお知りになったとは想像しなかった。
じみな黒い喪服姿の源氏の顔と竜顔《りゅうがん》とは 常よりもなおいっそうよく似てほとんど同じもののように見えた。 帝も以前から鏡にうつるお顔で 源氏に似たことは知っておいでになるのであるが、 僧都の話をお聞きになった今はしみじみとその顔に御目…
【源氏物語603 第19帖 薄雲34】「死人が多くて人心が恐怖状態になっておりますことは、必ずしも 政治の正しいのと正しくないのとによることではございません。」そう源氏は、譲位を考える帝をお諌めした。
「それはあるまじいことでございます。 死人が多くて人心が恐怖状態になっておりますことは、 必ずしも 政治の正しいのと正しくないのとによることではございません。 聖主の御代《みよ》にも天変と地上の乱のございますことは 支那《しな》にもございました…
【源氏物語602 第19帖 薄雲33】源氏は女院をお慕いする親子の情から、お悲しいのであろうと拝見したその日に式部卿親王の薨去が奏上された。いよいよ天の示しが急になったと帝はお感じになったのであった。
源氏は女院をお慕いあそばされる御親子の情から、 夜も昼もお悲しいのであろうと拝見した、その日に式部卿《しきぶきょう》親王の薨去が奏上された。いよいよ天の示しが急になったというように帝はお感じになったのであった。こんなころであったからこの日は…
光源氏31歳冬から32歳秋の話。 明石の御方は悩みぬいた末、 母尼君の説得もあって姫君を源氏に委ねることを決断する。 雪の日に源氏が姫君を迎えに訪れ、明石の御方は涙ながらにそれを見送った。 二条院では早速盛大な袴着が行われ、 紫の上も今は姫君の可愛…
帝は隠れた事実を夢のようにお聞きになって、 いろいろと御煩悶《はんもん》をあそばされた。 故院のためにも済まないこととお思われになったし、 源氏が父君でありながら自分の臣下となっているということも もったいなく思召された。 お胸が苦しくて朝の時…
何とも仰せがないので、 僧都は進んで秘密をお知らせ申し上げたことを 御不快に思召すのかと恐懼《きょうく》して、 そっと退出しようとしたのを、 帝はおとどめになった。 「それを自分が知らないままで済んだなら 後世《ごせ》までも罪を負って行かなけれ…
「もったいない。 私は仏様がお禁じになりました真言秘密の法も 陛下には御伝授申し上げました。 私個人のことで申し上げにくいことが何ございましょう。 この話は過去未来に広く関聯《かんれん》したことでございまして お崩《かく》れになりました院、女院…
僧都は昔風に咳《せき》払いをしながら、 世の中のお話を申し上げていたが、 その続きに、 「まことに申し上げにくいことでございまして、 かえってそのことが罪を作りますことになるかもしれませんから、 躊躇《ちゅうちょ》はいたされますが、 陛下がご存…
⚠️表題を間違えました 正しくは 源氏物語597 第19帖 薄雲28です 御葬儀に付帯したことの皆終わったころになって かえって帝はお心細く思召《おぼしめ》した。 女院の御母后の時代から 祈りの僧としてお仕えしていて、 女院も非常に御尊敬あそばされ、 御信頼…
源氏は二条の院の庭の桜を見ても、 故院の花の宴の日のことが思われ、 当時の中宮《ちゅうぐう》が思われた。 「今年ばかりは」(墨染めに咲け) と口ずさまれるのであった。 人が不審を起こすであろうことをはばかって、 念誦《ねんず》堂に引きこもって終…
【源氏物語595 第19帖 薄雲26】すぐれた御人格の宮は、民衆のためにも大きな愛を持っておいでになった。世の中の人は皆 女院をお惜しみして泣いた。殿上の人も皆 真黒な喪服姿になって寂しい春であった。
力を落として深い悲しみに浸っていた。 尊貴な方でもすぐれた御人格の宮は、 民衆のためにも大きな愛を持っておいでになった。 権勢があるために知らず知らず一部分の人を しいたげることもできてくるものであるが、 女院にはそうしたお過《あやま》ちもなか…
「無力な私も陛下の御後見に できますだけの努力はしておりますが、 太政大臣の薨去されましたことで 大きな打撃を受けましたおりから、 御重患におなりあそばしたので、 頭はただ混乱いたすばかりで、 私も長く生きていられない気がいたします」 こんなこと…
「院の御遺言をお守りくだすって、 陛下の御後見をしてくださいますことで、 今までどれほど感謝して参ったかしれませんが、 あなたにお報いする機会がいつかあることと、 のんきに思っておりましたことが、 今日になりましてはまことに残念でなりません」 …
源氏は一廷臣として太政大臣に続いて また女院のすでに危篤状態になっておいでになることは 歎《なげ》かわしいとしていた。 人知れぬ心の中では無限の悲しみをしていて、 あらゆる神仏に頼んで 宮のお命をとどめようとしているのである。 もう長い間禁制の…
お厄年であることから、 はっきりとされない御容体の幾月も続くのをすら 帝は悲しんでおいでになりながら、 そのころにもっとよく御養生をさせ、 熱心に祈祷《きとう》をさせなかったかと 帝は悔やんでおいでになった。 近ごろになってお驚きになったように …