清涼殿での音楽よりも、
場所のおもしろさの多く加わったここの管絃楽に
新来の人々は興味を覚えた。また杯が多く巡った。
ここには纏頭《てんとう》にする物が備えてなかったために、
源氏は大井の山荘のほうへ、
「たいそうでないの纏頭品があれば」
と言ってやった。
明石《あかし》は手もとにあった品を取りそろえて持たせて来た。
衣服箱二荷であった。
お使いの弁は早く帰るので、さっそく女装束が纏頭に出された。
久方の 光に近き 名のみして 朝夕霧も 晴れぬ山ざと
というのが源氏の勅答の歌であった。
帝の行幸を待ち奉る意があるのであろう。
「中に生《お》ひたる」
(久方の中におひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる)
と源氏は古歌を口ずさんだ。
源氏がまた躬恒《みつね》が
「淡路にてあはとはるかに見し月の近き今宵《こよひ》はところがらかも」
と不思議がった歌のことを言い出すと、
源氏の以前のことを思って泣く人も出てきた。
皆酔ってもいるからである。
🎼🪷autumn travel written by のる
🪷少納言のホームページ 源氏物語&古典 syounagon-web ぜひご覧ください🪷 https://syounagon-web-1.jimdosite.com
🪷聴く古典文学 少納言チャンネルは、聴く古典文学動画。チャンネル登録お願いします🪷