2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧
天子が新しくお立ちになり、 時代の空気が変わってから、 源氏は何にも興味が持てなくなっていた。 官位の昇進した窮屈《きゅうくつ》さもあって、 忍び歩きももう軽々しくできないのである。 あちらにもこちらにも待って訪われぬ恋人の悩みを作らせていた。…
母方の祖母の喪は三か月であったから、 師走《しわす》の三十日に喪服を替えさせた。 母代わりをしていた祖母であったから除喪のあとも派手にはせず 濃くはない紅の色、紫、山吹《やまぶき》の落ち着いた色などで、 そして地質のきわめてよい織物の小袿《こ…
藤壺《ふじつぼ》の宮の自邸である三条の宮へ、 様子を知りたさに源氏が行くと王命婦《おうみょうぶ》、 中納言の君、中務《なかつかさ》などという女房が出て応接した。 源氏はよそよそしい扱いをされることに不平であったが 自分をおさえながらただの話を…
それがあってから藤壺の宮は宮中から実家へお帰りになった。 逢う機会をとらえようとして、 源氏は宮邸の訪問にばかりかかずらっていて 左大臣家の夫人もあまり訪わなかった。 その上 紫の姫君を迎えてからは、 二条の院へ新たな人を入れたと伝えた者があっ…
翌朝源氏は藤壺の宮へ手紙を送った。 「どう御覧くださいましたか。 苦しい思いに心を乱しながらでした。 物思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の 袖うち振りし 心知りきや 失礼をお許しください。」 とあった。 目にくらむほど美しかった昨日の舞を 無視するこ…
朱雀《すざく》院の行幸は十月の十幾日ということになっていた。 その日の歌舞の演奏は ことに選りすぐって行なわれるという評判であったから、 後宮の人々はそれが御所でなくて 陪観のできないことを残念がっていた。 帝も藤壺の女御《にょご》に お見せに…
「春になったのですからね。今日は声も少しお聞かせなさいよ、 鶯《うぐいす》よりも何よりもそれが待ち遠しかったのですよ」 と言うと、 「さへづる春は」 (百千鳥《ももちどり》囀《さへづ》る春は物ごとに 改まれどもわれぞ古《ふ》り行《ゆ》く) とだ…
三十日の夕方に宮家から贈った衣箱の中へ、 源氏が他から贈られた白い小袖の一重ね、 赤紫の織物の上衣《うわぎ》、 そのほかにも山吹色とかいろいろな物を入れたのを 命婦が持たせてよこした。 「こちらでお作りになったのがよい色じゃなかったという あて…
「くれなゐの ひとはな衣《ごろも》 うすくとも ひたすら朽たす 名をし立てずば」 その我慢も人生の勤めでございますよ」 理解があるらしくこんなことを言っている命婦も たいした女ではないが、 せめてこれだけの才分でもあの人にあればよかったと 源氏は残…
その年の暮れの押しつまったころに、 源氏の御所の宿直所《とのいどころ》へ 大 輔《たゆう》の命婦《みょうぶ》が来た。 源氏は髪を梳《す》かせたりする用事をさせるのには、 恋愛関係などのない女で、 しかも戯談《じょうだん》の言えるような女を選んで…
車の通れる門はまだ開けてなかったので、 供の者が鍵《かぎ》を借りに行くと、 非常な老人《としより》の召使が出て来た。 そのあとから、娘とも孫とも見える、 子供と大人の間くらいの女が、 着物は雪との対照で あくまできたなく汚れて見えるようなのを着…
頭の形と、髪のかかりぐあいだけは、 平生美人だと思っている人にもあまり劣っていないようで、 裾《すそ》が袿《うちぎ》の裾をいっぱいにした余りが まだ一尺くらいも外へはずれていた。 その女王の服装までも言うのはあまりにはしたないようではあるが、 …
先刻老人たちの愁《うれ》えていた雪が ますます大降りになってきた。 すごい空の下を暴風が吹いて、 灯の消えた時にも点《つ》け直そうとする者はない。 某《なにがし》の院の物怪《もののけ》の出た夜が 源氏に思い出されるのである。 荒廃のしかたはそれ…
常陸の女王のまだ顔も見せない深い羞恥を 取りのけてみようとも格別しないで時がたった。 あるいは源氏がこの人を顕《あら》わに見た刹那《せつな》から 好きになる可能性があるとも言えるのである。 手探りに不審な点があるのか、 この人の顔を一度だけ見た…
夜になってから退出する左大臣に伴われて源氏はその家へ行った。 行幸の日を楽しみにして、 若い公達《きんだち》が集まるとその話が出る。 舞曲の勉強をするのが仕事のようになっていたころであったから、 どこの家でも楽器の音をさせているのである。 左大…
二条の院へ帰って、源氏は又寝《またね》をしながら、 何事も空想したようにはいかないものであると思って、 ただ身分が並み並みの人でないために、 一度きりの関係で退《の》いてしまうような態度の取れない点を 煩悶《はんもん》するのだった。 そんな所へ…
「いくそ度《たび》 君が沈黙《しじま》に 負けぬらん 物な云《い》ひそと 云はぬ頼みに 言いきってくださいませんか。 私の恋を受けてくださるのか、受けてくださらないかを」 女王の乳母の娘で 侍従という気さくな若い女房が、 見かねて、女王のそばへ寄っ…
八月の二十日過ぎである。 八、九時にもまだ月が出ずに星だけが白く見える夜、 古い邸《やしき》の松風が心細くて、 父宮のことなどを言い出して、 女王は命婦といて泣いたりしていた。 源氏に訪ねて来させるのに よいおりであると思った命婦のしらせが 行っ…
秋になって、 夕顔の五条の家で聞いた砧《きぬた》の 耳についてうるさかったことさえ 恋しく源氏に思い出されるころ、 源氏はしばしば常陸の宮の女王へ手紙を送った。 返事のないことは秋の今も初めに変わらなかった。 あまりに人並みはずれな態度をとる女…
「常陸の宮の返事が来ますか? 私もちょっとした手紙をやったのだけれど何にも言って来ない。 侮辱された形ですね」 自分の想像したとおりだ、 頭中将はもう手紙を送っているのだと思うと 源氏はおかしかった。 「返事を格別見たいと思わない女だからですか…
源氏にも頭中将にも第二の行く先は決まっていたが、 戯談《じょうだん》を言い合っていることがおもしろくて、 別れられずに一つの車に乗って、 朧月夜《おぼろづきよ》の暗くなった時分に左大臣家に来た。 前駆に声も立てさせずに、そっとはいって、 人の来…
「あまりにまじめ過ぎるからと 陛下がよく困るようにおっしゃっていらっしゃいますのが、 私にはおかしくてならないことがおりおりございます。 こんな浮気なお忍び姿を陛下は御覧になりませんからね」 と命婦が言うと、 源氏は二足三足帰って来て、笑いなが…
源氏は言っていたように十六夜《いざよい》の月の 朧《おぼ》ろに霞《かす》んだ夜に命婦を訪問した。 「困ります。こうした天気は決して音楽に適しませんのですもの」 「まあいいから御殿へ行って、 ただ一声でいいからお弾《ひ》かせしてくれ。 聞かれない…
源氏の君の夕顔を失った悲しみは、 月がたち年が変わっても忘れることができなかった。 左大臣家にいる夫人も、 六条の貴女《きじょ》も強い思い上がりと 源氏の他の愛人を 寛大に許すことのできない気むずかしさがあって、 扱いにくいことによっても、 源氏…
「それくらいのことでいばらせないぞ、 大将さんの引きがあると思うのかい」 などと言うのを、 供の中には源氏の召使も混じっているのであるから、 抗議をすれば、いっそう面倒になることを恐れて、 だれも知らない顔を作っているのである。 とうとう前へ大…
「書きそこねたわ」 と言って、 恥ずかしがって隠すのをしいて読んでみた。 『かこつべき 故を知らねば おぼつかな いかなる草の ゆかりなるらん』 子供らしい字ではあるが、将来の上達が予想されるような、 ふっくりとしたものだった。 死んだ尼君の字にも…
「少納言の所で私は寝るのよ」 子供らしい声で言う。 「もうあなたは乳母《めのと》などと寝るものではありませんよ」 と源氏が教えると、悲しがって泣き寝をしてしまった。 乳母は眠ることもできず、ただむやみに泣かれた。 明けてゆく朝の光を見渡すと、 …
源氏は無心によく眠っていた姫君を抱き上げて目をさまさせた。 女王は父宮がお迎えにおいでになったのだと まだまったくさめない心では思っていた。 髪を撫《な》でて直したりして、 「さあ、いらっしゃい。宮様のお使いになって私が来たのですよ」 と言う声…
「宮様のほうから、 にわかに明日迎えに行くと言っておよこしになりましたので、 取り込んでおります。 長い馴染《なじみ》の古いお邸《やしき》を離れますのも 心細い気のすることと私どもめいめい申し合っております」 と言葉数も少なく言って、 大納言家…
「なぜそんなにお祖母様のことばかりをあなたはお思いになるの、 亡くなった人はしかたがないんですよ。 お父様がおればいいのだよ」 と宮は言っておいでになった。 日が暮れるとお帰りになるのを見て、 心細がって姫君が泣くと、宮もお泣きになって、 「な…