力を落として深い悲しみに浸っていた。
尊貴な方でもすぐれた御人格の宮は、
民衆のためにも大きな愛を持っておいでになった。
権勢があるために知らず知らず一部分の人を
しいたげることもできてくるものであるが、
女院にはそうしたお過《あやま》ちもなかった。
女院をお喜ばせしようと当局者の考えることも
それだけ国民の負担がふえることであるとお認めになることは
お受けにならなかった。
宗教のほうのことも僧の言葉をお聞きになるだけで、
派手《はで》な人目を驚かすような仏事、
法要などの行なわれた話は、
昔の模範的な聖代にもあることであったが、
女院はそれを避けておいでになった。
御両親の御遺産、
官から年々定まって支給せられる物の中から、
実質的な慈善と僧家への寄付をあそばされた。
であったから僧の片端にすぎないほどの者までも
御恩恵に浴していたことを思って崩御を悲しんだ。
世の中の人は皆女院をお惜しみして泣いた。
殿上の人も皆|真黒《まっくろ》な喪服姿になって
寂しい春であった。
忘却の都 written by のる
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