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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【平家物語19 第1巻 願立①〈がんだて〉】〜The Tale of the Heike🪷


藤原氏の専横を抑え、院政の始りを開いた程の、

豪気な帝であった故白河院が、

「賀茂川の水、双六《すごろく》の骰《さい》、

 比叡の山法師、これだけは、いかな私でも手に負えない」

 といって嘆いたという話がある。

山門の横暴振りは他にも伝わっている。

 鳥羽院の時、白山平泉寺《はくさんへいせんじ》を比叡山が、

しきりに欲しがったことがあった。

余り無理な願いであったから、あわや、却下と思われたが、

大江匡房《おおえのまさふさ》が、

法皇を諫《いさ》めて、

「お断りになってもようございますが、

 もしも、山門の僧兵共が、神輿《みこし》を先頭に攻めてきたら、

 いかがなさいますか、面倒な事になるかも知れません、

それならいっそ、聞き入れてやった方が」

と、山門に刃向う、ばからしさを説いたので、

法皇も気が変り、

「全く、山門が相手では、どうしようもない」

といって許したのである。

 

山門の威力に就ては、こんな話もある。

それは、嘉保《かほう》二年の事であるが、

美濃守《みののかみ》源 義綱《よしつな》という男が、

叡山の僧であった円応を殺した事件があった。

早速、叡山側から、日吉《ひえ》の社司、延暦寺の寺官等、

三十余人が、訴状を持って、

当時の関白、藤原 師通《もろみち》の許へ脅迫にやってきた。

関白は、権少輔頼春《ごんのしょうよりはる》という侍に命じて、

武力で追っ払えと命令を下した。

突然の武力の応酬に、殺される者、傷を負う者が続出、

山門の使いは、ほうほうの態で逃げ帰った。

これを聞いた、山門の幹部達が事の子細を、

朝廷に直訴にやってくると聞いた関白は、

再び、武士、検非違使《けびいし》に先手を打たせ、

都に入らぬ先に、追い返してしまった。

 いよいよ怒った山門の衆徒達は、

今は、唯、憎い関白を、祈り殺せとばかり、

七社の神輿を、根本中堂《こんぽんちゅうどう》に振上げて、

その前で七日間、大般若経《だいはんにゃきょう》を読み続けた。

最後の日になると、

仲胤法印《ちゅういんほういん》という僧が立ち、

おそろしい声で、

「われらの神よ、何卒、御二条《ごにじょう》の関白に、

 かぶら矢を当てて下さい。何卒お願い申します、

 八王子権現《はちおうじごんげん》の神よ」

 といって願った。

 

その晩不思議な夢を見た人があって、八王子権現の社から、

かぶら矢の放たれる音がしたとみる間に、

京の御所を指してとんでいったというのである。

ところがもっと不思議な事には、

翌朝、関白の家の格子《こうし》をあけると、

今、山からとれたばかりとしか思えない樒《しきみ》が、

一枝置かれていた。

従来、不吉な木である樒が関白の家の前にあったことは、

たちまち、京都中の評判になったが、

その噂も広まらぬ先に関白は重い病にかかり、

明日をも知れぬ身となってしまった。

 

今更、山王の祟《たた》りの恐しさをまのあたりにみて、

関白の母である摂政藤原 師実《もろざね》の妻は、

もういても立ってもいられない気持である。

ある日こっそり、身をやつして日吉の社にこもって、

七日七晩、祈り続けた。

願が、かなえられた暁には、芝田楽《しばでんがく》を百回、

百番のひとつもの(祭礼の行列で、一様の装束をしたもの)、

競馬《くらべうま》、流鏑馬《やぶさめ》、

相撲《すもう》をそれぞれ百、

仁王講《にんおうこう》を百座設け、

薬師講《やくしこう》を百座、

親指と中指の長さの薬師百体、等身大のもの百体、

並びに釈迦《しゃか》、阿弥陀《あみだ》の像を

それぞれ造立《ぞうりゅう》寄進するという条件であった。

その上、心中には、尚《なお》ひそかに、願立てたことがあったが、

それは、内深くひめて表には出さないでいた。

🪷🎼#呪縛 written by #YOSHIHIRO

 

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