嘉応《かおう》元年七月十六日、後白河院が出家された。
といっても、今まで通り、政務は、続けられていたから、
別に変りはなかった。
益々わがまま一方になる平家のやり口については、
心の内で、何かとご不満を感じていられた様子だったが、
それを公けにされたわけでもなく、
平家の方でも当らず、さわらずといった態度で、
表面は、何事もない平和な日が過ぎていった。
が、事件は、思いがけないところから、口火を発することになった。
重盛の次男で、新三位《しんさんみの》中将 資盛《すけもり》は、
まだ十三の腕白坊主だが、年は若くても、
良い星の下に生れたおかげで、身分は高く、
したい放題の事をしても、誰もとがめるものがいないから、
図にのって、遊び廻っていた。
嘉応二年十月十六日、珍しく雪が降った。
たいした雪でもなかったが、退屈していた資盛は、
雪にかこつけて、枯野《かれの》へ鷹狩に出かけていった。
年頃も、同じ程度のいずれおとらぬ、腕白共を従え、
京に帰ってきたのは、既に日暮れ方である。
家に向う途中、摂政《せっしょう》藤原基房《もとふさ》が、
参内途中の行列とぱったり出 喰《く》わしてしまった。
何分、薄闇《うすやみ》の中で、
余り柄の良くない若僧の一隊が、
天下の摂政の行列にぶつかってきたのだから、
基房の家来達は、
「馬を下りろ、馬を下りろ、摂政殿下のお通りだぞ」
と口々にどなりつけた。
資盛の方は、これで一人でも、
世間並みの常識を持ち合せている年輩者でもいればよかったのだが、
とにかく、血気にはやる若者ばかりで、
馬を下りるどころか、群になって、かけ抜けようとした。
この傍若無人さに、
かっとなった基房の家来達は、資盛一同を、
馬からひきずり下すとこっぴどい目にあわせてやった。
暗いさなかで、顔は、はっきり、判らなかったとはいえ、
うすうす、
平家の公達《きんだち》であることぐらいは感づいていたものの、
そこは何喰わぬ顔で、
日頃の、うっぷんをたたきつけたのである。
泥だらけになって、半べそをかいて帰ってきた資盛から、
わけを聞いた、これも万年腕白坊主の清盛は、
かんかんになった。
「何が殿下だ、実力もないくせして、
大きな面《つら》ばかり下げて、
それも、こんな子供相手に、そういう真似をするとは、
実にけしからん。
とにかく平家一族を、ばかにするのも甚しい、
よし、今に何とか仕返しをしてやるぞ」
と大変な興奮の仕方である。
「しかし、父上、これは、こちらにも落度があるのではありませぬか」
重盛が、早速、なだめはじめた。
「これが、頼政とか、光基《みつもと》とかいう、
源氏の一家にやられたということになれば、
我々一族の面目にもかかわりますが、
とにかく、相手は、何と言っても殿下です。
むしろ、これは、殿下に行き逢って、
馬を下りなかった資盛の非礼を責めるべきで、
全く、家来共も、気のきかないちんぴらばかりで」
重盛は、そのときの若侍達を呼び出し、
「今後、二度とああいう無礼を働くようなら、
直ぐさまくびにするぞ」
ときつくおどかしたのであった。
ところが、重盛の諫言《かんげん》などは、馬の耳に念仏である。
とにかく、腹が立って仕方のない清盛は、
いずれも、腕力に覚えのある、子飼いのならず者ばかりを、
各地からこっそり呼び寄せていた。
二十一日は、高倉帝の来年の元服が決まる大事な日で、
もちろん主役である基房は、参内することになっていた。
清盛はその日に目をつけて、
ひそかに、仕返しを企んでいたのである。
そうとも知らず、基房は、普段よりも、
行列を美々しく飾り立て、しずしずと、
堀河《ほりかわ》のあたりまでやってきた時であった。
「わあっ」というときの声と共に、鎧《よろい》に身を固め、
物々しく武装した一隊、
二百余騎に囲りをどっと取り囲まれてしまった。
元より、多勢に無勢、不意の事でもあり、
基房の家来達は、右に左に追っかけ廻され、
馬から引き落され、散々なぶりものにされた上に、
もとどりを一人残らず切りとられてしまった。
これが、清盛が命じた、秘かな使命だったのである。
その上、基房の乗っている車の中へ弓のはずを突き入れたり、
すだれをひきちぎったりいやがらせをやってから、
意気揚々と引き上げていった。
基房は、涙ながらに、漸く車をひかせて、
とぼとぼと邸に引き返した。
この知らせに、清盛は喜ぶまいことか、
手をうって笑いがとまらなかった。
「あいつが、車の中で、どんな顔をしていたかと思うと、
おかしくてならぬ。
蔵人大夫《くらんどのたいふ》のもとどりを切る時、
これは基房のもとどりのつもりだと言ったって、
そいつは愉快だ。
とにかく、こんな、気持の良い事は又とありゃせん。
ざまあみやがれ、
天下の平家に楯《たて》つくとどうなるってことがこれで、
よくわかった筈《はず》じゃ」
重盛もこの噂《うわさ》を聞いてびっくりした。
清盛に賞められて、有頂天になっていた関係者を呼びよせると、
即座に、くびにして追い出してしまった。
更に、息子の資盛には、
「争いのもとは、皆お前の不行届きだ、
少し田舎《いなか》に行って頭でも冷してこい」
といって、伊勢国《いせのくに》へ追いやってしまった。
さすがに重盛だけの事はあると、彼一人でやっと平家の不評をとりもどした。
🔥🎼#Flood of Death written by #Heitaro Ashibe
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