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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【平家物語11 第1巻 二代の后〈きさき〉】〜The Tale of the Heike🌺

とかく戦乱がうち続き、世の中が騒然としてくると、

倫理とか、道徳といったものが、無視されがちである。

 平家一門の栄耀栄華《えいようえいが》の陰には、

敗戦の不運に泣く源氏の将兵があり、

又、天皇と上皇は、

互にけんせいし合いながら、政権をねらうという、

不穏な空気が時代を支配していた。

 

ところで大ていのことには驚かなくなっていた人々が、

こればかりはと眉をひそめた話がある。

故近衛院《このえのいん》の后《きさき》、

太皇大后宮《たいこうたいこうぐう》と呼ばれる女性が話題の人である。

右大臣公能《うだいじんきんよし》の娘で、

天下第一と言われる程の美貌の持主であった。

先帝の死去の後は、近衛川原《このえがわら》の御所に、

静かな明け暮れを営んでいた。

 これに目を留められたのが、二条《にじょう》天皇で、

元々、女好きの帝《みかど》であったが、

事もあろうに先帝の未亡人に想いを寄せ始めたのである。

もちろん未亡人とはいえ、

まだ、二十二、三歳、花の盛りを過ぎたとはいっても、

このまま、一生後家暮しで終らせるには、惜しい程の器量であった。

天皇は、近衛川原に使いをやって想いのたけを打ち明けたけれど、

大宮の方では、てんで相手にもされなかった。

ところが、そうなると執心が一層つのるものらしい。

とうとう宣旨《せんじ》を下して、直接右大臣家に働きかけたのである。

こう事が公けになっては、公卿達も黙っていられない。

早速、会議が開かれて、討論が始まったが、事が、事だけに、

無論、双手《もろて》をあげて賛成する者はいない。

唐《とう》の則天武后《そくてんぶこう》という先例はあっても、

これは他の国の話で、

日本ではこういう例は今までに一度もないのである。

上皇始め、一同大反対だったが、しかし、そうなると、

ますます愛恋の情がつのってきたらしい。

 

「自分ほどの身分で、心にまかせぬことがあるものか」

と天皇は勝手に入内《じゅだい》の日取まで決めてしまったのである。

ここまできてはもう、どうにも仕方がなかった。

 大宮としては、余り気乗りのしない結婚である。

それもひどく浅ましいことのような気がして、

終日、涙に打ち沈んでいた。

 

「全くあの時、先帝と一緒に死んでしまえば、

 こんな辛い目にもあいませんでしたのに」

と嘆き悲しむのである。

その娘の心を哀れと思いながらも、

父親は父親で又、別の望みに心をときめかしていた。

「何にしても勅命が降りた以上、仕方がないよ、

 まあ仰せに従うのが幸せなことだと、私は思うね。

 ひょっとして、もしお前に男の子でもできてごらん、

 お前は国母《こくも》、

 私は外祖父ってことにならないとも限らないんだから」

 父親の本心を知るにつれても大宮の心は一層、深い憂愁にとざされていった。

  うきふしに沈みもやらでかわ竹の

  世にためしなき名をや流さん

という哀れな心境を、世間の人々もいつか聞き知って、

そっと同情の心を寄せていた。

 

入内の日が来たが、大宮は、中々家を出ようとしないのを、

父の右大臣が無理に車に乗せたほどである。

 内裏《だいり》の様子は、

先帝のいた当時と少しも変っていないのが、又、大宮の涙を誘った。

当時の楽しかった結婚生活が、ありありと思い出されてきて、

返すがえすも、我が身の不幸が偲《しの》ばれてくるのであった。

 入内の後は、大宮は、麗景殿《れいけいでん》に住み、

遊び好きで、政治の嫌いな天皇に、

何かと政務を見る事をすすめていたという。

変則な時代の犠牲者とも言える女性の一人である。

🌺🎼#千秋万歳 written by #えだまめ88

 

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