とかく戦乱がうち続き、世の中が騒然としてくると、
倫理とか、道徳といったものが、無視されがちである。
平家一門の栄耀栄華《えいようえいが》の陰には、
敗戦の不運に泣く源氏の将兵があり、
又、天皇と上皇は、
互にけんせいし合いながら、政権をねらうという、
不穏な空気が時代を支配していた。
ところで大ていのことには驚かなくなっていた人々が、
こればかりはと眉をひそめた話がある。
故近衛院《このえのいん》の后《きさき》、
太皇大后宮《たいこうたいこうぐう》と呼ばれる女性が話題の人である。
右大臣公能《うだいじんきんよし》の娘で、
天下第一と言われる程の美貌の持主であった。
先帝の死去の後は、近衛川原《このえがわら》の御所に、
静かな明け暮れを営んでいた。
これに目を留められたのが、二条《にじょう》天皇で、
元々、女好きの帝《みかど》であったが、
事もあろうに先帝の未亡人に想いを寄せ始めたのである。
もちろん未亡人とはいえ、
まだ、二十二、三歳、花の盛りを過ぎたとはいっても、
このまま、一生後家暮しで終らせるには、惜しい程の器量であった。
天皇は、近衛川原に使いをやって想いのたけを打ち明けたけれど、
大宮の方では、てんで相手にもされなかった。
ところが、そうなると執心が一層つのるものらしい。
とうとう宣旨《せんじ》を下して、直接右大臣家に働きかけたのである。
こう事が公けになっては、公卿達も黙っていられない。
早速、会議が開かれて、討論が始まったが、事が、事だけに、
無論、双手《もろて》をあげて賛成する者はいない。
唐《とう》の則天武后《そくてんぶこう》という先例はあっても、
これは他の国の話で、
日本ではこういう例は今までに一度もないのである。
上皇始め、一同大反対だったが、しかし、そうなると、
ますます愛恋の情がつのってきたらしい。
「自分ほどの身分で、心にまかせぬことがあるものか」
と天皇は勝手に入内《じゅだい》の日取まで決めてしまったのである。
ここまできてはもう、どうにも仕方がなかった。
大宮としては、余り気乗りのしない結婚である。
それもひどく浅ましいことのような気がして、
終日、涙に打ち沈んでいた。
「全くあの時、先帝と一緒に死んでしまえば、
こんな辛い目にもあいませんでしたのに」
と嘆き悲しむのである。
その娘の心を哀れと思いながらも、
父親は父親で又、別の望みに心をときめかしていた。
「何にしても勅命が降りた以上、仕方がないよ、
まあ仰せに従うのが幸せなことだと、私は思うね。
ひょっとして、もしお前に男の子でもできてごらん、
お前は国母《こくも》、
私は外祖父ってことにならないとも限らないんだから」
父親の本心を知るにつれても大宮の心は一層、深い憂愁にとざされていった。
うきふしに沈みもやらでかわ竹の
世にためしなき名をや流さん
という哀れな心境を、世間の人々もいつか聞き知って、
そっと同情の心を寄せていた。
入内の日が来たが、大宮は、中々家を出ようとしないのを、
父の右大臣が無理に車に乗せたほどである。
内裏《だいり》の様子は、
先帝のいた当時と少しも変っていないのが、又、大宮の涙を誘った。
当時の楽しかった結婚生活が、ありありと思い出されてきて、
返すがえすも、我が身の不幸が偲《しの》ばれてくるのであった。
入内の後は、大宮は、麗景殿《れいけいでん》に住み、
遊び好きで、政治の嫌いな天皇に、
何かと政務を見る事をすすめていたという。
変則な時代の犠牲者とも言える女性の一人である。
🌺🎼#千秋万歳 written by #えだまめ88
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