元々、道理一点ばりの人だからここに及んでも、
喜ぶより先に、この事件の行末を気にかけていた。
「私は、法皇の勅勘を受けて流される罪人なのですから、
少しも早く、都の内を追い出されて、
先を急がねばならぬ身です。
お志は有難いが、貴方方に迷惑はかけたくない、
早くお引き取り下さい」
と言う。
しかし、このくらいで引き下る衆徒ではない。
何が何でも山に戻って貰わねば、
山の名誉にもかかわるとばかり、座主の決意を促した。
「家を出て山門に入ってからというもの、
専ら、国家の平和を祈り、
衆徒の皆さんをも大切にしてきたつもりですし、
我が身にあやまちがあろうとは思われず、
この度の事でも、
私は、人をも神仏をも誰一人お恨み申してはおりません。
それにしても、
ここまで追いかけてきて下さった衆徒の皆さんの志を思うと、
何とお礼を申し上げてよいものやら」
後は唯涙をぬぐうばかりで、
荒くれ男の多い衆徒達も一様に涙を誘われた。
「とにかく早くこれにおのり下さい」
衆徒の一人がせきたてると、
「いや昔は三千の衆徒の上に立つ主でも
今は罪人の私、輿《こし》などはもったいない。
たとえのぼるにしてもわらじばきで、貴方方と一緒に」
といって輿にも乗ろうとしない。
すると先程からこの様子にみかねたのか、
西塔《さいとう》の阿闍梨《あじゃり》で、
祐慶《ゆうけい》という、名うての荒法師が、
白柄の大長刀《おおなぎなた》を杖について、
七尺の長身を波うたせながら、
人の列をかきわけて前に出てくると、
座主に向って、
「そう理屈ばかり仰有《おっしゃ》るから、
今度のような事にもお遭《あ》いになるのですよ。
とにかく、さっさと乗って下さいよ」
とせかせたので、座主も、今はと諦めて、御輿に乗った。
無事に座主を取り戻した嬉しさに、
衆徒一同は喜び勇んで、けわしい山道も難なく越えて、
叡山へ帰ったのである。
叡山に戻った明雲前座主を一先ず、大講堂の庭に置くと、
再び会議が開かれた。
「勅勘を蒙って流罪と決まった前座主を取り戻したはいいが、
果して再び座主として我らの頭上に頂くべきであろうか?
一体|如何《いかが》いたしたものであろう?」
これを聞いて先の祐慶は、再び前に進み出ると、
かっと見開いた両眼から、はらはらと涙をこぼしながら、
「皆の方々、よく承れ、
この叡山はそもそも日本に二つとない霊地であり、
鎮護国家の道場である。
当山の衆徒の意見は、世間からも尊重され、
決してあなどられた例《ため》しはない。
まして、高貴高徳の人である三千の衆徒の主が、
無実の罪をうけた事は、
当山はもちろん、世の人々が、憤ってやまない事なのじゃ。
この罪なき人を、何で主と崇めて悪いことがあろうか、
もし、又これがため、朝廷よりおとがめある時は、
この祐慶喜んで罪に服すつもりでいるのじゃ」
全山に轟《とどろ》くばかりの大音声《だいおんじょう》は、
山々の峰にこだまして、なみいる大衆の心をゆさぶった。
前座主は、東塔の南谷《みなみだに》、
妙光坊に入られる事になった。
これ程有徳の人物でも、
たまには災難にあわれることもあるのである。
🪷🎼不老不死の信仰 written by beckman
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