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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【平家物語17 第1巻 鹿ケ谷〈ししがたに〉②】〜The Tale of the Heike🪷


ところで、成親と、動機こそ違え、志を同じくする者は、

まだ幾人かあった。

彼らがいつも好んで寄り集りの場所にしたのは、鹿ヶ谷にある、

これも同志の一人 俊寛《しゅんかん》の山荘である。

ここは、東山のふもとにあり、

後は三井寺に続いた、要害堅固なところで、

こういった陰謀を企むには、まさにもってこいの場所だったのである。

 ある晩、後白河院が、お忍びでここにお出でになり、

話がいつか、平家に対する不満から次第に、

平家を葬る具体的な話になりそうになってきた。

後白河院のお供で席に連っていた浄憲法印《じょうけんほういん》は

思慮深い男であったから、

「まだこの種の話し合いはすべきではない。

 それに、こう人数が多くては、どんな事でもれるかわからない。

 とにかく、事は慎重にはかるべきだ」

と一座を眺め廻していった。

おたがいが、まだ腹のさぐり合いをしている最中だから、

浄憲の言葉は、尤《もっと》もなのだが、

他の連中は、何となくしゃくにさわる。

成親などは、顔面蒼白《そうはく》になって立ち上り、

浄憲につめ寄ろうとした拍子に、

着物の袖がふれて前にあった瓶子《へいし》が倒れた。

「どうしたんだ、成親」

後白河院も、座の白《しら》けた様子に、

少し腹立しそうに成親に言った。

「いやあ、平氏が倒れたのです。目出度い事ではありませぬか」

当意即妙の思いつきである。

途端に、院の顔色がさっと晴れやかになった。

「何か茶番でもやらぬか」

院のお声がかりで、

平判官康頼《へいはんがんやすより》がついと前へ出てきた。

「余りに、へいしが多過ぎて、酔いの廻るの早いこと」

「はて、さて、どうしたものじゃろうか」

俊寛が直ぐ後をうけていった。

「首を取るのが一番じゃ」

西光《さいこう》法師は、そういうとたちまち、

瓶子の頭を切り落してしまった。

 これには、一座が拍手かっさいで、

後白河院もすこぶる機嫌がよかった。

浄憲だけが、余りの他愛のなさに、怒りもできず、

押し黙っているだけであった。

 これまでのところ、

名前のわかっている陰謀荷担者は、

近江《おうみの》中将入道 蓮浄《れんじょう》俗名 成正《なりまさ》、

法勝寺執行《ほっしょうじのしゅぎょう》俊寛 僧都《そうず》、

山城守基兼《やましろのかみもとかね》、

式部大輔雅綱《しきぶのたいふまさつな》、

平判官康頼、宗判官信房《そうはんがんのぶふさ》、

新平判官資行《しんへいはんがんすけゆき》、

摂津国《せっつのくに》源氏 多田蔵人行綱《ただのくらんどゆきつな》

といった連中で、他に北面の武士が多かった。

 この中で、俊寛というのは、

京極源大納言雅俊《きょうごくのげんだいなごんがしゅん》の孫であるが、

この雅俊が、奇行の多い変人として知られていた。

武士でもないのに、気性の激しい、怒りっぽい男で、

むしゃくしゃしてくると、

自分の屋敷の前に人を通させないというような、とにかく変った男だった。

この祖父の血は、俊寛にも脈々とつづいていたらしく、

僧侶といっても、頭を丸めているだけの話で、

彼は荒々しい気性と言い、人を喰った傲慢《ごうまん》さと言い、

祖父そっくりで、陰謀好きの事件屋であった。

 この謀みに多く加わっていた北面の武士とは、

白河院の時に始めて置かれたものだが、

この時代になると、相当羽振りをきかしたもので、

中には、五位以上に叙せられ、昇殿を許された者もあり、

公卿を公卿とも思わぬ連中が多かった。

中には、知勇に優れ、実力で地位をかためてゆく者も何人かあったが、

故 少納言入道信西《しょうなごんにゅうどうしんぜい》の家来で

師光《もろみつ》、成景《なりかげ》等も、

ひときわ目立った才能のある武士で、

それぞれ、左衛門尉《さえもんのじょう》、右衛門尉になったが、

信西が殺された時、同時に出家して名を改めた。

この師光が、西光であり、成景が西景《さいけい》である。

🌿🎼danakil written by ハシマミ

 

 

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