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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

2024-06-01から1ヶ月間の記事一覧

【私本太平記19 第1巻 大きな御手11】無頼の徒と睨めあっている彼の眼光といい、彼の拳にある一羽の鷹の戦闘的な羽づくろいといい、これは虚勢を張ってみせた若雑どもの胆を冷やすには充分なものだった。

終日《ひねもす》の舟行《しゅうこう》なので、 退屈もむりはないが、舟の中ほどで、 博奕《ばくち》が始まっていたからである。 たしか花街《いろまち》の神崎あたりで、 どやどや割りこんで来た 今時風《いまどきふう》な若雑人の一と組なのだ。 初めのほ…

【源氏物語703 第22帖 玉鬘③】少弐一家は姫君をかしずき立てることだけを幸福に思って任地で暮らしていた。夢などにたまさか夕顔の君を見ることもあったが、お亡くなりになったと悲しいが思うようになった。

金《かね》の岬《みさき》を過ぎても 「千早《ちはや》振る金の御崎《みさき》を過ぐれども われは忘れずしがのすめ神」 という歌のように夕顔夫人を忘れることができずに 娘たちは恋しがった。 少弐一家は姫君をかしずき立てることだけを幸福に思って 任地…

【源氏物語702 第22帖 玉鬘②〈たまかずら〉】美しくて、すでにもう高貴な相の備わっている姫君は、乳母達と共に九州に行く事になった。普通の旅役人の船に乗せて立って行く時、皆はは非常に悲しがった。

乳母たちは母君の行くえを知ろうと いろいろの神仏に願を立て、 夜昼泣いて恋しがっていたが何のかいもなかった。 しかたがない、姫君だけでも夫人の形見に育てていたい、 卑しい自分らといっしょに 遠国へおつれすることを悲しんでいると 父君のほうへほの…

【平家物語106 第4巻 若宮御出家①】三位入道 渡辺などの党を殲滅した平家の兵達は、三井寺の大衆を含む 約五百ほどの首をあげた。頼政の首級は遂に発見出来なかったが子息たちの首はすべて探し出された。

三位入道、渡辺などの党を殲滅した平家の兵たちは、 三井寺の大衆もまぜて凡《およ》そ五百ほどの首をあげた。 頼政の首級は遂に発見できなかったが、 彼の子息たちの首はすべて探し出された。 太刀、長刀の切先にこの首を突きさした平家の軍勢は 勝鬨《かち…

【🌺古典文学インデックス】〜Classical Literature🍃

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【私本太平記18 第1巻 大きな御手⑩】「閑《しずか》であれば、人が山を見。 忙しければ、人は山に見られているということなので」「ま、そうだな。すべての忙は、 閑には敵わぬとでもいっておこうか」

難波《なにわ》の旅寝をその夜かぎりとして、 次の日の主従《ふたり》はもう京へのぼる淀川舟の上だった。 「いい川だなあ、淀川は」 舟べりに肱をもたせて、 又太郎はうつつなげな詠嘆を独り洩らしていた。 「——わしの性分か。 わしは大河のこの悠久な趣《…

【源氏物語701 第22帖 玉鬘1〈たまかずら〉】年月はどんなにたっても、源氏は死んだ夕顔のことを少しも忘れずにいた。個性の違った恋人を幾人も得た人生の行路に、夕顔の君がいたならと遺憾に思っていた。

年月はどんなにたっても、 源氏は死んだ夕顔のことを少しも忘れずにいた。 個性の違った恋人を幾人も得た人生の行路に、 その人がいたならばと遺憾に思われることが多かった。 右近は何でもない平凡な女であるが、 源氏は夕顔の形見と思って庇護するところが…

【平家物語105 第4巻 宮の御最後③】矢が雨のように宮の周囲に降る。両者の距離はたちまちつまった。宮のお伴鬼佐渡、荒土佐、刑部俊秀必死に防ぎ戦ううち次々と討死、一本の矢が宮の脇腹を射抜いた。

宮の勢を破り頼政一味の大将たちを討ちとった平家は、 何んとかしてあの競の滝口を生け捕りたいものと 機会をうかがっていたが、 もとより心得ていた競は 存分の戦で敵を数多倒すや腹かき切って自害した。 また円満院大夫源覚は、 もう宮も遥か落ちたであろ…

【平家物語104 第4巻 宮の御最後②】「私には出来ませぬ。ご自害遊ばしましたら、その後にこそ御首を頂きましょう」と声をつまらせている。その顔を見つめた頼政は、かすかに肯くと正座して西方に向いた。

源三位入道 年すでに七十余り、 左の膝がしらを射られて歩行が困難になった。 今や心静かに自害せんと 平等院の中へ引きあげようとするとき、 追いすがった敵があった。 このとき、次男源大夫判官兼綱、 この日紺地の錦の直衣《ひたたれ》に 唐綾縅《からあ…

【平家物語103 第4巻 宮の御最後①】足利又太郎の装立ちは、赤革縅の鎧、黄金作りの太刀、二十四本背に差したるは切斑の矢、重籐の弓を小脇にかいこんで、乗る馬は連銭葦毛、鐙をふんばって声を轟かせた。

岸に先手をきっておどりあがった足利又太郎の装立ちは、 赤革縅の鎧、黄金作りの太刀、 二十四本背に差したるは切斑《きりふ》の矢、 重籐《しげとう》の弓を小脇にかいこんで、 乗る馬は連銭|葦毛《あしげ》、 鐙《あぶみ》をふんばって声を轟《とどろ》か…

【平家物語102 第4巻 橋合戦③】「弱き馬は下流に、強き馬を上流に立てよ。 馬の足川床を歩む間は手綱をゆるめ、 足とどかずに泳ぎはじめたなら手綱をしめよ。 流される者あらば弓をあたえて引き戻せ‥

この橋上の激戦を眺めていた平家の本陣は、 次第に焦立ってきた。 死物狂いで防戦する頼政一党を破って、 橋から宮のいる陣へ突入するには時間がかかる上に、 第一狭すぎる。 敵が宇治橋の防戦に全力をあげている虚をついて、 一気に宮の本陣に全兵力を投入…

【源氏物語700 第21帖 乙女55】紅葉がむらむらに色づいて、中宮の前のお庭が非常に美しくなった。夕方に風の吹き出した日、中宮はいろいろの秋の花紅葉を箱の蓋に入れて紫夫人へお贈りになるのであった。

九月にはもう紅葉《もみじ》がむらむらに色づいて、 中宮の前のお庭が非常に美しくなった。 夕方に風の吹き出した日、 中宮はいろいろの秋の花紅葉を 箱の蓋《ふた》に入れて紫夫人へお贈りになるのであった。 やや大柄な童女が深紅《しんく》の袙《あこめ》…

【平家物語101 第4巻 橋合戦②】三位入道の一族、渡辺党があいついで橋を渡り、刀折れれば敵のを奪い、重傷で倒れれば残る力で腹かき切って川へ飛ぶ。両軍の血で橋は染り、雄叫びは火花の散るほど激しかった。

堂衆の一人、 筒井《つつい》の浄妙明秀《じょうみょうめいしゅう》は 黒皮縅の鎧に五枚兜の緒をしめ、 二十四本の黒ほろの矢を背に白柄の大長刀を掴んで橋に一人進み、 轟く大音声をあげた。 「遠からん者は音にも聞け、近からん人は目にも見よ、 三井寺に…

【源氏物語699 第21帖 乙女54】 秋の彼岸の頃 源氏一家は六条院へ移った。中宮のおはいりになることは少しお延ばしさせた。おとなしい、自我を出さない花散里を同じ日に東の院から移転させた。

秋の彼岸のころ源氏一家は六条院へ移って行った。 皆一度にと最初源氏は思ったのであるが、 仰山《ぎょうさん》らしくなることを思って、 中宮のおはいりになることは少しお延ばしさせた。 おとなしい、 自我を出さない花散里を同じ日に東の院から移転させた…

【平家物語100 第4巻 橋合戦①】但馬の長刀は神速の業をみせた。頭を狙う矢には身を沈め、低い矢は飛びこえた。真向うから飛び来る矢は長刀で丁と切って落し、横から襲う矢を騒がず柄ではたき落す‥

しばらく進むうちに、 高倉宮は宇治橋に来るまで六度も落馬した。 側近が昨夜お寝みにならぬお疲れのためであろうと、 平等院《びょうどういん》にお入れして休息させた。 敵襲をおもんばかって、宇治橋の橋板三間を引きはがし、 宮と共に兵もここで一息入れ…

【私本太平記16 第1巻 大きな御手⑧〈みて〉】「ともあれ、異変の兆《きざ》しは、蝦夷《えぞ》の空だ。 仔細は船宿で話してくれる。はやく参れ」時乱に敏感なのは、いつのときでも、官辺よりは民衆だった。

「あれを見い、右馬介」 「おあとに、何か」 「いや、覚一の姿が、まだわしたちを見送っておる」 「はて。見えもせぬ眼で」 「そうでない。見える眼も同じだ。 わしたちを振向かせているではないか」 ——この日、都を離れた主従は、 当然、数日後には、 東海…

【私本太平記17 第1巻 大きな御手⑨】源平争覇の社会を眼に見た人間は地上にいない。 蒙古襲来の国難も、老人の炉辺話でしかなかったの。四十年の無事泰平は、誰からも、過去の悪夢を忘れさせていた。

奥州北津軽から四国へ帰るという一僧侶が、 長柄の船待ちで、しゃべっていたものである。 津軽の豪族、安藤季長《あんどうすえなが》、 安藤五郎、ほかすべての一族同士が 受領《じゅりょう》の領域を争いあい、 ついに陸奥《みちのく》一帯に布陣し出したと…

【源氏物語698 第21帖 乙女53】六条院の造営が終わった。南西は中宮の旧邸のあった所で、そこは宮のお住居になる。南東は源氏の住む所である。北東の一帯は東の院の花散里、西北は明石の上となる。

八月に六条院の造営が終わって、 二条の院から源氏は移転することになった。 南西は中宮の旧邸のあった所であるから、 そこは宮のお住居《すまい》になるはずである。 南の東は源氏の住む所である。 北東の一帯は東の院の花散里、 西北は明石《あかし》夫人…

【源氏物語 第22帖 玉鬘〈たまかずら〉】

夕顔の遺児玉鬘は母の死後、 4歳で乳母一家に伴われて筑紫へ下国し、 乳母の夫太宰少弐が死去した後上京できぬまま、 既に20歳になっていた。 その美貌ゆえ求婚者が多く、 乳母は玉鬘を「自分の孫」ということにして、 病気で結婚できないと断り続けてきたが…

【平家物語99 第4巻 大衆そろえ②】「今までこれというよしみもなかった私に、それほど心をかけてくれるのか」宮は感動の涙を押えかねた。そして、手勢一千五百人を引きつれて興福寺へ向われたのであった。

搦手に向う老僧たちの大将軍には源三位入道頼政、 乗円坊の阿闍梨慶秀、 律成坊《りつじょうぼう》の阿闍梨 日胤《にちいん》などを はじめとして、その軍勢およそ千人、 手に手にたいまつを持ち進発した。 大手の大将軍には嫡子伊豆守仲綱、 次男源大夫判官…

【私本太平記14 第1巻 大きな御手⑦】この盲少年は、父は地方の乱で早くに戦場で最期をとげ、母も、尼寺にという身の上なので、憲房が都へ伴い、さる公卿の許へ、琵琶の習得に通わせていたのである。

暇乞いは、先の夜にすんでいる。 それに伯父の憲房も、探題の正月行事でいなかった。 ふたりは一睡の後、湯漬など食べ、 旅支度にかかっていた。 すると、侍部屋の廊のかべを、 サラ、サラ、と撫でつつ人の近づいてくる気配がした。 そこの遣戸《やりど》を…

【源氏物語697 第21帖 乙女52 】春になってからは専念に源氏は宮の五十の御賀の用意をしていた。東の院でも仕事を分担し助けていた。花散里と紫の上とは同情を互いに持って美しい交際をしているのである。

春になってからは専念に源氏は 宮の五十の御賀の用意をしていた。 落《おと》し忌《いみ》の饗宴《きょうえん》のこと、 その際の音楽者、 舞い人の選定などは源氏の引き受けていることで、 付帯して行なわれる仏事の日の経巻や仏像の製作、 法事の僧たちへ…

【平家物語98 第4巻 大衆そろえ①】衣の下に萌黄匂の腹巻を着こみ、大太刀を無造作に差し、白柄の長刀を突き立てた僧が進み出ると大音声をあげた。乗円坊の阿闍梨慶秀という者、真海をはったと睨みつつ言った。

三井寺は防備のため山を切り開いて、 大小の関所を作った。 こうした中で衆徒一同が集って評定が真剣に行なわれた。 「比叡は変心、頼みの奈良興福寺の援軍はまだ来ていない。 このまま徒らに時を延ばすのは平家を利するだけだ。 直ちに六波羅へ今夜押しかけ…

【私本太平記14 第1巻 大きな御手⑥】帝の笛に、京極殿の灯は更けていた。古例の曲を吹き終って、「ふつつかなお聞え上げを」と、御父の法皇に一礼し御座へ返った。夢幻から醒めたような息の白さが灯を霞める。

みかどの笛に、京極殿の灯は更《ふ》けていた。 みかどは、古例の曲を吹き終って、 「ふつつかなお聞え上げを」 と、御父の法皇に一礼して御座へ返った。 ほっと夢幻から醒めたような息の白さが灯を霞める。 女房たちの座からは、 ふと、みかどの方へ笑みを…

【源氏物語696 第21帖 乙女51】君は秋の除目《じもく》の時に侍従に任ぜられた。雲井の雁を忘れる時がないのであるが、大臣が厳重に監視しているのも恨めしくて、無理をして逢ってみようともしなかった。

源氏の公子はその日の成績がよくて進士になることができた。 碩学《せきがく》の人たちが選ばれて 答案の審査にあたったのであるが、 及第は三人しかなかったのである。 そして若君は秋の除目《じもく》の時に侍従に任ぜられた。 雲井《くもい》の雁《かり》…

【私本太平記13 第1巻 大きな御手⑤〈みて〉】皇后の侍《かしず》きに、阿野中将の娘で廉子《やすこ》とよばるる女性があった。廉子の美貌はいつか天皇のお眼にとまって、すぐ御息所の一ととなった。

皇后の侍《かしず》きに、 阿野《あの》中将の女《むすめ》で 廉子《やすこ》とよばるる女性があった。 廉子の美貌はいつか天皇のお眼にとまって、 すぐ御息所《みやすんどころ》の一と方となった。 花の命は短くて ——とはまま後宮の女性の喞《かこ》ちごと…

【平家物語97 第4巻 南都返牒〈なんとへんちょう〉】山門から拒否同様の返事を受けた三井寺衆徒は、これで孤立するのではないかとの不安におののいていたが、興福寺からの返書は大いに気勢を上げさせた。

山門から拒否同様の返事を受けた三井寺衆徒は、 これで孤立するのではないかとの不安におののいていたが、 興福寺からの返書は大いに気勢を上げさせた。 それほどこの返書は激越な文句で綴られていたのである。 「興福寺より園城寺へ返事申す。 当寺一味同志…

【源氏物語695 第21帖 乙女50】朧月夜の尚侍も静かな院の中にいて、過去を思う時々に、源氏とした恋愛の昔が今も身にしむことに思われた。近ごろでも源氏は好便に託して文通をしているのであった。

朧月夜《おぼろづきよ》の尚侍《ないしのかみ》も 静かな院の中にいて、過去を思う時々に、 源氏とした恋愛の昔が今も身にしむことに思われた。 近ごろでも源氏は好便に託して文通をしているのであった。 太后は政治に御|註文《ちゅうもん》をお持ちになる…

【私本太平記12 第1巻 大きな御手④〈おおきなみて〉】姫を盗んだ下手人は、皇太子尊治の君とやがて知れた。‥さすが乳父吉田定房の家には連れず、よそに隠しおかれ、こよなき恋の巣と、潜んでおいでであった。

いまは九重の上、お噂とて、なかなか洩れ難いが、 かつて吉田定房の邸におられた皇太子時代には、 そうした豪気による放埒の御片鱗が、 しばしば世上に聞えぬでもなかった。 たとえば、その当時。 ある年の秋の一夜だったが、 西園寺《さいおんじ》の 前《さ…

【平家物語96 第1巻 南都への牒状〈なんとへのちょうじょう〉】三井寺への返事には、態度未定、目下検討中という政治的用語をふんだんに使われた返書が送りかえされた。

三井寺から檄文を受けとった比叡山門の大衆は、 いささか機嫌を損じた。 山門は本山であるとの自負がある。 「鳥の双翼、車の両輪」という文句が気に障った。 当山の末寺三井寺が 山門を同格に扱うのは無礼であるというのである。 憤慨のうちに返事はのばさ…