2024-06-01から1ヶ月間の記事一覧
妙齢になった姫君の容貌は母の夕顔よりも美しかった。 父親のほうの筋によるのか、 気高い美がこの人には備わっていた、 性質も貴女《きじょ》らしくおおようであった。 故人の少弐の家に美しい娘のいる噂《うわさ》を聞いて、好色な地方人などが幾人《いく…
また高倉宮の子は奈良にも一人いたが、 守護役の讃岐守重秀《さぬきのかみしげひで》が出家させて、 北国へ逃れ落ちていった。 後に木曽義仲が京へ攻めのぼるとき皇位につけようと 還俗《げんぞく》させたので、還俗の宮とも、 木曽の宮ともよばれたのである…
【私本太平記20 第1巻 大きな御手12 みて】役人は、賄賂の取り放題、坊主は強訴と我欲のほかはねえ金襴の化け物だ。地頭は年貢いじめにもすぐ太刀の反りを見せ、妾囲いと田楽踊りをいいことにしていやアがる
こう機嫌を直すと、 彼らは衆の中では最も衆を明るくする特性を持っていた。 ——一時はどうなることかと恐れ、 また彼らの体臭に近づきかねていた男女も、 みるみるうちに、彼らのとぼけや冗談に巻きこまれて、 舟は和気藹々《あいあい》な囀《さえず》りを乗…
一方、平家首脳の間では、 高倉宮の子供たちが八方手をのばして追求された。 宮には腹違いの子供が多かったのであるが、 その中に八条女院に仕えていた伊予守盛教の娘で 三位局《さんみのつぼね》と呼ばれた女房には、 今年七歳の若宮と五歳になる姫宮がいた…
終日《ひねもす》の舟行《しゅうこう》なので、 退屈もむりはないが、舟の中ほどで、 博奕《ばくち》が始まっていたからである。 たしか花街《いろまち》の神崎あたりで、 どやどや割りこんで来た 今時風《いまどきふう》な若雑人の一と組なのだ。 初めのほ…
【源氏物語703 第22帖 玉鬘③】少弐一家は姫君をかしずき立てることだけを幸福に思って任地で暮らしていた。夢などにたまさか夕顔の君を見ることもあったが、お亡くなりになったと悲しいが思うようになった。
金《かね》の岬《みさき》を過ぎても 「千早《ちはや》振る金の御崎《みさき》を過ぐれども われは忘れずしがのすめ神」 という歌のように夕顔夫人を忘れることができずに 娘たちは恋しがった。 少弐一家は姫君をかしずき立てることだけを幸福に思って 任地…
乳母たちは母君の行くえを知ろうと いろいろの神仏に願を立て、 夜昼泣いて恋しがっていたが何のかいもなかった。 しかたがない、姫君だけでも夫人の形見に育てていたい、 卑しい自分らといっしょに 遠国へおつれすることを悲しんでいると 父君のほうへほの…
三位入道、渡辺などの党を殲滅した平家の兵たちは、 三井寺の大衆もまぜて凡《およ》そ五百ほどの首をあげた。 頼政の首級は遂に発見できなかったが、 彼の子息たちの首はすべて探し出された。 太刀、長刀の切先にこの首を突きさした平家の軍勢は 勝鬨《かち…
少納言のホームページ 源氏物語&古典 少納言の部屋も ぜひご覧くださいhttps://syounagon.jimdosite.com 聴く古典文学 少納言チャンネルは、聴く古典文学動画。チャンネル登録お願いします 【ふるさと納税】阿蘇のボタニカルのルームポプリとガラスポットウ…
難波《なにわ》の旅寝をその夜かぎりとして、 次の日の主従《ふたり》はもう京へのぼる淀川舟の上だった。 「いい川だなあ、淀川は」 舟べりに肱をもたせて、 又太郎はうつつなげな詠嘆を独り洩らしていた。 「——わしの性分か。 わしは大河のこの悠久な趣《…
年月はどんなにたっても、 源氏は死んだ夕顔のことを少しも忘れずにいた。 個性の違った恋人を幾人も得た人生の行路に、 その人がいたならばと遺憾に思われることが多かった。 右近は何でもない平凡な女であるが、 源氏は夕顔の形見と思って庇護するところが…
宮の勢を破り頼政一味の大将たちを討ちとった平家は、 何んとかしてあの競の滝口を生け捕りたいものと 機会をうかがっていたが、 もとより心得ていた競は 存分の戦で敵を数多倒すや腹かき切って自害した。 また円満院大夫源覚は、 もう宮も遥か落ちたであろ…
源三位入道 年すでに七十余り、 左の膝がしらを射られて歩行が困難になった。 今や心静かに自害せんと 平等院の中へ引きあげようとするとき、 追いすがった敵があった。 このとき、次男源大夫判官兼綱、 この日紺地の錦の直衣《ひたたれ》に 唐綾縅《からあ…
岸に先手をきっておどりあがった足利又太郎の装立ちは、 赤革縅の鎧、黄金作りの太刀、 二十四本背に差したるは切斑《きりふ》の矢、 重籐《しげとう》の弓を小脇にかいこんで、 乗る馬は連銭|葦毛《あしげ》、 鐙《あぶみ》をふんばって声を轟《とどろ》か…
この橋上の激戦を眺めていた平家の本陣は、 次第に焦立ってきた。 死物狂いで防戦する頼政一党を破って、 橋から宮のいる陣へ突入するには時間がかかる上に、 第一狭すぎる。 敵が宇治橋の防戦に全力をあげている虚をついて、 一気に宮の本陣に全兵力を投入…
【源氏物語700 第21帖 乙女55完】紅葉がむらむらに色づいて、中宮の前のお庭が非常に美しくなった。夕方に風の吹き出した日、中宮はいろいろの秋の花紅葉を箱の蓋に入れて紫夫人へお贈りになるのであった。
九月にはもう紅葉《もみじ》がむらむらに色づいて、 中宮の前のお庭が非常に美しくなった。 夕方に風の吹き出した日、 中宮はいろいろの秋の花紅葉を 箱の蓋《ふた》に入れて紫夫人へお贈りになるのであった。 やや大柄な童女が深紅《しんく》の袙《あこめ》…
【平家物語101 第4巻 橋合戦②】三位入道の一族、渡辺党があいついで橋を渡り、刀折れれば敵のを奪い、重傷で倒れれば残る力で腹かき切って川へ飛ぶ。両軍の血で橋は染り、雄叫びは火花の散るほど激しかった。
堂衆の一人、 筒井《つつい》の浄妙明秀《じょうみょうめいしゅう》は 黒皮縅の鎧に五枚兜の緒をしめ、 二十四本の黒ほろの矢を背に白柄の大長刀を掴んで橋に一人進み、 轟く大音声をあげた。 「遠からん者は音にも聞け、近からん人は目にも見よ、 三井寺に…
秋の彼岸のころ源氏一家は六条院へ移って行った。 皆一度にと最初源氏は思ったのであるが、 仰山《ぎょうさん》らしくなることを思って、 中宮のおはいりになることは少しお延ばしさせた。 おとなしい、 自我を出さない花散里を同じ日に東の院から移転させた…
しばらく進むうちに、 高倉宮は宇治橋に来るまで六度も落馬した。 側近が昨夜お寝みにならぬお疲れのためであろうと、 平等院《びょうどういん》にお入れして休息させた。 敵襲をおもんばかって、宇治橋の橋板三間を引きはがし、 宮と共に兵もここで一息入れ…
「あれを見い、右馬介」 「おあとに、何か」 「いや、覚一の姿が、まだわしたちを見送っておる」 「はて。見えもせぬ眼で」 「そうでない。見える眼も同じだ。 わしたちを振向かせているではないか」 ——この日、都を離れた主従は、 当然、数日後には、 東海…
奥州北津軽から四国へ帰るという一僧侶が、 長柄の船待ちで、しゃべっていたものである。 津軽の豪族、安藤季長《あんどうすえなが》、 安藤五郎、ほかすべての一族同士が 受領《じゅりょう》の領域を争いあい、 ついに陸奥《みちのく》一帯に布陣し出したと…
八月に六条院の造営が終わって、 二条の院から源氏は移転することになった。 南西は中宮の旧邸のあった所であるから、 そこは宮のお住居《すまい》になるはずである。 南の東は源氏の住む所である。 北東の一帯は東の院の花散里、 西北は明石《あかし》夫人…
夕顔の遺児玉鬘は母の死後、 4歳で乳母一家に伴われて筑紫へ下国し、 乳母の夫太宰少弐が死去した後上京できぬまま、 既に20歳になっていた。 その美貌ゆえ求婚者が多く、 乳母は玉鬘を「自分の孫」ということにして、 病気で結婚できないと断り続けてきたが…
搦手に向う老僧たちの大将軍には源三位入道頼政、 乗円坊の阿闍梨慶秀、 律成坊《りつじょうぼう》の阿闍梨 日胤《にちいん》などを はじめとして、その軍勢およそ千人、 手に手にたいまつを持ち進発した。 大手の大将軍には嫡子伊豆守仲綱、 次男源大夫判官…
暇乞いは、先の夜にすんでいる。 それに伯父の憲房も、探題の正月行事でいなかった。 ふたりは一睡の後、湯漬など食べ、 旅支度にかかっていた。 すると、侍部屋の廊のかべを、 サラ、サラ、と撫でつつ人の近づいてくる気配がした。 そこの遣戸《やりど》を…
【源氏物語697 第21帖 乙女52 】春になってからは専念に源氏は宮の五十の御賀の用意をしていた。東の院でも仕事を分担し助けていた。花散里と紫の上とは同情を互いに持って美しい交際をしているのである。
春になってからは専念に源氏は 宮の五十の御賀の用意をしていた。 落《おと》し忌《いみ》の饗宴《きょうえん》のこと、 その際の音楽者、 舞い人の選定などは源氏の引き受けていることで、 付帯して行なわれる仏事の日の経巻や仏像の製作、 法事の僧たちへ…
【平家物語98 第4巻 大衆そろえ①】衣の下に萌黄匂の腹巻を着こみ、大太刀を無造作に差し、白柄の長刀を突き立てた僧が進み出ると大音声をあげた。乗円坊の阿闍梨慶秀という者、真海をはったと睨みつつ言った。
三井寺は防備のため山を切り開いて、 大小の関所を作った。 こうした中で衆徒一同が集って評定が真剣に行なわれた。 「比叡は変心、頼みの奈良興福寺の援軍はまだ来ていない。 このまま徒らに時を延ばすのは平家を利するだけだ。 直ちに六波羅へ今夜押しかけ…
【私本太平記14 第1巻 大きな御手⑥】帝の笛に、京極殿の灯は更けていた。古例の曲を吹き終って、「ふつつかなお聞え上げを」と、御父の法皇に一礼し御座へ返った。夢幻から醒めたような息の白さが灯を霞める。
みかどの笛に、京極殿の灯は更《ふ》けていた。 みかどは、古例の曲を吹き終って、 「ふつつかなお聞え上げを」 と、御父の法皇に一礼して御座へ返った。 ほっと夢幻から醒めたような息の白さが灯を霞める。 女房たちの座からは、 ふと、みかどの方へ笑みを…
源氏の公子はその日の成績がよくて進士になることができた。 碩学《せきがく》の人たちが選ばれて 答案の審査にあたったのであるが、 及第は三人しかなかったのである。 そして若君は秋の除目《じもく》の時に侍従に任ぜられた。 雲井《くもい》の雁《かり》…
皇后の侍《かしず》きに、 阿野《あの》中将の女《むすめ》で 廉子《やすこ》とよばるる女性があった。 廉子の美貌はいつか天皇のお眼にとまって、 すぐ御息所《みやすんどころ》の一と方となった。 花の命は短くて ——とはまま後宮の女性の喞《かこ》ちごと…