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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

藤壺の宮から返事が来る【源氏物語100 第七帖 紅葉賀2】行幸の日、源氏が舞う時 かざしにした葉数の減った紅葉を左大将が白菊の花に差し替えた。

翌朝源氏は藤壺の宮へ手紙を送った。

「どう御覧くださいましたか。

 苦しい思いに心を乱しながらでした。

 物思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の

 袖うち振りし 心知りきや

 失礼をお許しください。」

とあった。

目にくらむほど美しかった昨日の舞を

無視することがおできにならなかったのか、

宮はお書きになった。

 から人の 袖ふることは 遠けれど

 起《た》ち居《ゐ》につけて 哀れとは見き

一観衆として。

 

たまさかに得た短い返事も、

受けた源氏にとっては非常な幸福であった。

支那《しな》における青海波の曲の起源なども

知って作られた歌であることから、

もう十分に后らしい見識を備えていられると源氏は微笑して、

手紙を仏の経巻のように拡《ひろ》げて見入っていた。

 

行幸の日は親王方も公卿《くぎょう》

あるだけの人が帝の供奉《ぐぶ》をした。

必ずあるはずの奏楽の船がこの日も池を漕《こ》ぎまわり、

の曲も高麗《こうらい》の曲も舞われて

盛んな宴賀《えんが》だった。

 

試楽の日の源氏の舞い姿のあまりに美しかったことが

魔障《ましょう》の耽美心《たんびしん》を

そそりはしなかったかと帝は御心配になって、

寺々で経をお読ませになったりしたことを聞く人も、

御親子の情はそうあることと思ったが、

東宮の母君の女御だけはあまりな御関心ぶりだとねたんでいた

 

楽人殿上役人からも地下《じげ》からも

すぐれた技倆を認められている人たちだけが

選り整えられたのである。

参議が二人、それから左衛門督《さえもんのかみ》、

右衛門督が左右の楽を監督した。

 

舞い手はめいめい今日まで良師を選んでした稽古《けいこ》の成果を

ここで見せたわけである。

四十人の楽人が吹き立てた楽音に誘われて吹く松の風は

ほんとうの深山《みやま》おろしのようであった。

いろいろの秋の紅葉《もみじ》の散りかう中へ 青海波の舞い手が歩み出た時には、

これ以上の美は地上にないであろうと見えた。

挿《かざ》しにした紅葉が風のために葉数の少なくなったのを見て、

左大将がそばへ寄って庭前の菊を折ってさし変えた。

 

日暮れ前になってさっと時雨《しぐれ》がした。

空もこの絶妙な舞い手に心を動かされたように。

美貌の源氏が紫を染め出したころの白菊を

冠《かむり》に挿《さ》して

今日は試楽の日に超えて細かな手までもおろそかにしない

舞振りを見せた。

終わりにちょっと引き返して来て舞うところなどでは、

人が皆清い寒気をさえ覚えて、人間界のこととは思われなかった。

物の価値のわからぬ下人《げにん》で、

木の蔭《かげ》や岩の蔭

もしくは落ち葉の中にうずもれるようにして見ていた者さえも、

少し賢い者は涙をこぼしていた。

 

承香殿《じょうきょうでん》の女御を母にした第四親王が

まだ童形《どうぎょう》で秋風楽をお舞いになったのが

それに続いての見物《みもの》だった。

この二つがよかった。

あとのはもう何の舞も人の興味を惹《ひ》かなかった。

ないほうがよかったかもしれない。

 

今夜源氏従三位《じゅさんみ》から正三位に上った。

頭中将正四位下が上になった。

他の高官たちにも波及して昇進するものが多いのである。

当然これも源氏の恩であることを皆知っていた。

この世でこんなに人を喜ばしうる源氏は

前生《ぜんしょう》で

すばらしい善業《ぜんごう》があったのであろう。

源氏物語&古典 syounagon-web ぜひご覧ください🪷

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💠源氏物語 第七帖 紅葉賀💠(前半) 

世間は朱雀院で開かれる紅葉賀に向けての準備でかまびすしい。 

桐壺帝は最愛の藤壺が懐妊した喜びに酔いしれ、

 一の院の五十歳の誕生日の式典という慶事を

より盛大なものにしようという意向を示しているため、 臣下たちも舞楽の準備で浮き立っている。

 ところが、それほどまでに望まれていた藤壺の子は桐壺帝の御子ではなく、

 その最愛の息子光源氏の子であった。

 このことが右大臣側の勢力、特に東宮の母で藤壺のライバル、

 また源氏の母を迫害した張本人である弘徽殿女御に発覚したら二人の破滅は確実なのだが、

 若い源氏は向こう見ずにも藤壺に手紙を送り、また親しい女官を通して面会を求め続けていた。

 一方で、藤壺は立后を控え狂喜する帝の姿に罪悪感を覚えながらも、

 一人秘密を抱えとおす決意をし、源氏との一切の交流を持とうとしない。 

源氏はそのため華やかな式典で舞を披露することになっても浮かない顔のままで、

 唯一の慰めは北山から引き取ってきた藤壺の姪に当たる少女若紫(後の紫の上)の

 無邪気に人形遊びなどをする姿であった。 

帝は式典に参加できない藤壺のために、 

特別に手の込んだ試楽(リハーサル)を宮中で催すことに決める。 

源氏は青海波の舞を舞いながら御簾の奥の藤壺へ視線を送り、

 藤壺も一瞬罪の意識を離れて源氏の美貌を認める。

 源氏を憎む弘徽殿女御は、舞を見て 

「まことに神が愛でて、さらわれそうな美しさだこと。おお怖い。」と皮肉り、

 同席していたほかの女房などは「なんて意地の悪いことを」と噂する。 

紅葉の中見事に舞を終えた翌日、

源氏はそれとは解らぬように藤壺に文を送ったところ、 思いがけず返事が届き胸を躍らせた。

 五十の賀の後、源氏は正三位に。

頭中将は正四位下に叙位される。

この褒美に弘徽殿女御は「偏愛がすぎる」と不満を露わにし、東宮に窘められる。

 翌年二月、藤壺は無事男御子(後の冷泉帝)を出産。

 桐壺帝は最愛の源氏にそっくりな美しい皇子を再び得て喜んだが、

それを見る源氏と藤壺は内心罪の意識に苛まれるのだった。

 

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