【🌊平家物語】〜The Tale of the Heike🪷
このとき、大将軍頭中将重衡は般若寺の門の前に立って下知した。 「闇《くら》し、火をつけよ」 命をうけた播磨国の住人、 福井《ふくい》の荘《しょう》の下司《げし》次郎大夫友方、 楯を割るとこれに火をつけ松明《たいまつ》として付近の住家に火を放っ…
「隠忍もこれまでじゃ、奈良を討て」 たちまち大軍が揃えられ、 大将軍に頭中将重衡《とうのちゅうじょうしげひら》、 中宮亮通盛《ちゅうぐうのすけみちもり》が任ぜられて、 総兵力四万余騎奈良へ実力行使と進発した。 一方奈良の大衆老若合わせて七千余人…
京では、奈良興福寺が三井寺と手を組み、高倉宮を受け入れたり、 あるいは迎えに兵を出すなどの行為は、明らかに朝敵であると断じた。 奈良には、平家が攻め寄せるとの噂が伝わったので大衆は一斉に騒ぎ出した。 これを聞いた関白はことを穏便に計ろうと 有…
【平家物語150 都帰り】十二月二日の日、都がえりとなった。京に帰るというので人々は急ぎ争って上れば、もはや福原のことなど口に出す者もいない。困ったのは民。家も財も捨てて京に上るものは少なくなかった。
新都福原に強引に都を移し、内裏殿などを急造してはみたものの、 福原の人気は悪かった。 それに地形も宜しくない。 北に山々が高くそびえ、波の音は騒がしく、潮風はきびしい。 新院もそのためかご病気がちである。 君も臣もこの地を嘆くことしきりであった…
夜は白々と明けた。静かな暁である。 定められた六時、勢揃いした源氏は天にもとどけと鬨《とき》の声を三度あげた。 東国武士の野性をおびた声が朝の空気をふるわせた。 平家の陣は死んだように静まりかえって物音一つない。 敵の策かとしばし様子をうかが…
十月二十四日早朝六時、富士川で源平の矢合せと決まる。その前夜である。 決戦を控えて緊張した平家の侍どもが、対岸の源氏の陣を見渡した。 野に火が上り、海に浮び、河に灯《うつ》る。おびただしい火の大群である。 これらはいずれも合戦におびえた伊豆、…
維盛は東国の事情に精通している長井の斎藤別当実盛を召して聞いた。 「実盛は強弓の名があるが、そなたほどの強弓精兵は関東八カ国にいかほどいるのか」 実盛は軽蔑の笑いをこめて答えた。 「君は実盛を強弓のものと思召さるるか。 私はわずか十三|束《ぞ…
一方、頼朝は鎌倉を立ち、足柄山を越えて駿河国 黄瀬川《きせがわ》に着いた。 甲斐、信濃の源氏勢が馳せ加わり、 浮島《うきじま》で勢揃いした時には二十万騎になっていた。 その頃、平家方では都に文を届ける源氏勢の雑兵一人を捕えた。 手紙は女房のもと…
さて、昔は朝敵を討ちに都から立つ将軍には節刀を賜うのが例であったが、 こんどの頼朝追討には、讃岐守《さぬきのかみ》の正盛が、 前対馬守源義親《さきのつしまのかみみなもとのよしちか》追討の例に従い、 鈴だけが下賜され、皮の袋に入れて雑兵の首にか…
この忠度には、心やさしい話がある。 彼はさる皇女から生れた女房を恋してそこへ通っていたが、 ある夜、訪ねてゆくと、合憎、女の来客中であった。 話がはずむのか客は帰らず、夜は空しく更けてゆく。 客は高貴な女房であるから、忠度といえどもお帰り願う…
福原には、頼朝謀叛の兵を起す、との情報が絶え間なく流れこんでくる。 彼のもとに集る源氏の兵力もその数を刻々増してゆく情勢である。 公卿会議が急いで開かれ、敵の兵力が増さぬうちに一日も早く追手を、 という意見が一致して採られ、 大将軍に小松の権…
やがて、院宣をしっかと首にかけた文覚は喜び勇んで伊豆へと下った。 旅程は三日である。 頼朝の前に現れた文覚は、首からはずした院宣を渡した。 さしも沈静な頼朝の顔にも血が上った。 実は頼朝は不安な日を送っていたのであった。 文覚の余計な奔走が藪蛇…
しばらくして頼朝は静かにいった。 「そもそも頼朝は勅勘の身、罪人にござる。 これの許しなくして、いかにして謀叛が起せましょうか」 「そのことならば、いとも、たやすい、わしが京に上り御辺の許しを頂いてこよう」 「御坊も勅勘の身でござるぞ、その身…
「これは」 「御辺の父故左馬頭義朝殿の首じゃ。 平治の乱以後、この頭は獄舎の前の苔《こけ》の下に埋もれ、 後世を弔うもの一人といえどおらぬのじゃ。 わしは存ずる旨あって獄守にこの髑髏を乞い、以来山々寺々を修行で廻る間、 これを首にかけて二十余年…
【平家物語138 伊豆院宣①】蛭ヶ小島の頼朝を訪ねた文覚。懐より白い布に包んだものを取り出し うやうやしく布をとると一つの髑髏《どくろ》である。文覚はそれを頼朝の前に置いて、じっと正面から眼を据えた。
文覚は伊豆の住人近藤四郎|国隆《くにたか》のあっせんで 奈古屋《なごや》の奥に住んでいたが、 ここから兵衛佐頼朝のいる蛭《ひる》が小島《こじま》は近かった。 頼朝と親しくなった文覚は、話相手として殆んど毎日のように訪れていた。 ある時、急にあ…
いやいや、わしは決して人をだましたり、からかったりいたしはせぬ。 この文覚、清水の観音を深く信じ頼りにしているものじゃ、 わしの知合いといったら観音以外にないのじゃよ」 賄賂《わいろ》をとり損って仏頂顔の護送役と共に、 文覚は伊勢国|阿能《あ…
「お坊様もこれからの長旅、難儀なさいますが、 われわれがお傍にある以上ご心配はいりませんぜ。 まあ、こうした点でですな、依怙贔屓《えこひいき》と言っちゃ聞えが悪いが、 われわれもお坊様のことではあり、道中十分に気を配るつもりですがね。 そこで…
この頃、美福門院がおかくれになったので大赦があり、 牢につながれた文覚もこの恩恵に浴し、出獄した。 しかし文覚は、遠くの山にでも行って修行でもなされば、 という声には一向馬耳東風、平然たる面持で再び例の勧進帳を京の街に読み、 諸方に寄進すべき…
一歩すざった安藤武者は、 ここで血を流してはまずかろうと咄嗟《とっさ》に思案して太刀を取り直すや、 峰打ちを文覚の右腕にくれた。 打たれてひるんだ文覚に、太刀をがらりと捨てた安藤武者が組みついた。 両人ともに剛力のものである。 互にえいおうと力…
【平家物語133】 文覚被流②〈もんがくのながされ〉】氷の刃が光る、抜身を構えた文覚は近寄るものあらば刺さんという態度である。右の手に刀、左手に勧進帳振りかざす文覚は、あたかも両刀を操るように見える。
「無礼者め、とっとと出て失せい」 その姿をにらまえた文覚、 「高雄の神護寺へ、荘園一つご寄進頂かぬ限りは、退出いたさぬ」 という。かっとなった資行判官は、 つかつかと文覚に近寄ると衿首《えりくび》つかんで外へ突き出そうとした。 と、文覚は手にし…
このとき後白河法皇の御前では賑やかに楽が奏されていた。 妙音院の太政大臣は琵琶を弾じながら詩歌をみごとに朗詠していた。 按察使《あぜち》の大納言|資賢《すけかた》は和琴《わごん》を鳴らし、 その子|右馬頭資時《うまのかみすけとき》は風俗《ふう…
生来不敵、筋金入りの荒法師であったから、 誰も取りつがぬものときめてずかずか中庭に踏みこんだ。 もとより御前の礼儀作法は知らぬ。 よし知っていたにせよ頓着する男ではない。 絃が鳴り渡る中で、 「法皇は大慈大悲の君であられる、これしきのことをお聞…
京に帰ったあと、文覚は高雄の山奥で修行した。 この山には神護寺《じんごじ》という山寺があったが、 久しい間誰も修繕しなかったので荒れるままに放置されている。 春は霞に立ちこめられ、秋は霧の中に捨ておかれ、 傷みきった寺の扉は風に吹き倒された。 …
「私たちは大聖不動明王《だいしょうふどうみょうおう》の御使の、 金伽羅《こんがら》、勢多伽《せいたか》という童子、 文覚無上の大願を起して勇猛な行《ぎょう》を企てているから、 行って力を借してやれとの仰せ、不動明王のご命令で現れたのです」 と…
【平家物語128 第5巻 文覚の荒行④】文覚は凍る水の中で息が絶えてしまった。神聖な滝壺を汚すまいというのか、びんずらに髪をゆった天童二人が現れ文覚の頭を撫で、手足の爪先、掌にいたるまで丁寧にさする。
「わしはこの滝に三七、二十一日打たれて慈救の呪十万遍唱えるとの大願を立てた。 今日はまだ僅か五日目にすぎぬ。 七日目も来ぬというのに、このわしを連れ出したのは誰かっ」 雪を素足で踏んでの文覚の形相と大音声は、 修験者たちには天狗の出現とも見え…
文覚は衣を捨てると、雪を踏み氷を割って滝壺に下り、首まで体を沈めた。 みるみるうちに足の手の感覚が失われてゆく。 文覚の唇から白い息とともに慈救《じく》の呪文が滝音に抗するように唱えられた。 こうして不動明王の呪文十万遍を唱え切ろうというのだ…
【平家物語126 第5巻 文覚の荒行②】熱気こもる藪の中に寝ていると、蚊が群がり寄り思う存分血を吸う。虻や蜂が刺す、大きな毒蟻が噛み、文覚の五体は、無惨な有様となったが、彼は足の指一つ動かさなかった。
熱気こもる藪の中に吹き出す汗の流るるにまかせて寝ていると、 蚊が群がり寄って思う存分血を吸う、虻《あぶ》が刺し、蜂が刺す、 大きな毒蟻《どくあり》が噛み、文覚の五体は、 しばらくすると無慚《むざん》な有様となったが、彼は足の指一つ動かさなかっ…
清盛のいうように頼朝はさる平治元年十二月、 父|左馬頭《さまのかみ》義朝の謀叛によって殺される運命にあったが、 池禅尼の必死の嘆願で死を免れ、十四歳のとき、 永暦《えいりゃく》元年三月二十日、 伊豆国|北条《ほうじょう》蛭《ひる》が小島《こじ…
その中で最も激怒したのは清盛である。 青筋を立ててののしる清盛の姿をみては、 人々も何かただごとでないものを感じた。 「そもそも頼朝という奴は、あの平治元年十二月、 父|義朝《よしとも》の謀叛で死罪になるはずだったのだ。 池禅尼《いけのぜんに》…
東国の一地方の局部的戦闘にすぎぬではないか、 いや源氏勢のあいついだ蜂起は無視できぬ、今のうちに芽を刈るにしくはない、 などと一見勝利を伝えた大庭の早馬の注進は、 福原の平家の間にさまざまな波紋を呼んだのであった。 事実、遷都して、しばらくこ…