母方の祖母の喪は三か月であったから、
師走《しわす》の三十日に喪服を替えさせた。
母代わりをしていた祖母であったから除喪のあとも派手にはせず
濃くはない紅の色、紫、山吹《やまぶき》の落ち着いた色などで、
そして地質のきわめてよい織物の小袿《こうちぎ》を着た元日の紫の女王は、
急に近代的な美人になったようである。
源氏は宮中の朝拝の式に出かけるところで、
ちょっと西の対へ寄った。
「今日からは、もう大人になりましたか」
と笑顔をして源氏は言った。
光源氏の美しいことはいうまでもない。
紫の君はもう雛《ひな》を出して遊びに夢中であった。
三尺の据棚《すえだな》二つにいろいろな小道具を置いて、
またそのほかに小さく作った家などを
幾つも源氏が与えてあったのを、
それらを座敷じゅうに並べて遊んでいるのである。
「儺追《なやら》いをするといって
犬君《いぬき》が これをこわしましたから、
私よくしていますの」
と姫君は言って、
一所懸命になって小さい家を繕おうとしている。
「ほんとうにそそっかしい人ですね。すぐ直させてあげますよ。
今日は縁起を祝う日ですからね、泣いてはいけませんよ」
言い残して出て行く源氏の春の新装を女房たちは
縁に近く出て見送っていた。
紫の君も同じように見に立ってから、
雛人形の中の源氏の君をきれいに装束させて
真似《まね》の参内をさせたりしているのであった。
「もう今年からは少し大人におなりあそばせよ。
十歳《とお》より上の人は
お雛様遊びをしてはよくないと 世間では申しますのよ。
あなた様はもう良人《おっと》がいらっしゃる方なんですから、
奥様らしく静かにしていらっしゃらなくてはなりません。
髪をお梳《す》きするのもおうるさがりになるようなことではね」
などと少納言が言った。
遊びにばかり夢中になっているのを
恥じさせようとして言ったのであるが、
女王は心の中で、
私にはもう良人があるのだって、源氏の君がそうなんだ。
少納言などの良人は皆醜い顔をしている、
私はあんなに美しい若い人を良人にした、
こんなことをはじめて思った。
というのも一つ年が加わったせいかもしれない。
何ということなしにこうした幼稚さが
御簾の外まで来る家司《けいし》や侍たちにも知れてきて、
怪しんではいたが、
だれもまだ名ばかりの夫人であるとは知らなんだ。
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💠源氏物語 第七帖 紅葉賀💠(前半)
世間は朱雀院で開かれる紅葉賀に向けての準備でかまびすしい。
桐壺帝は最愛の藤壺が懐妊した喜びに酔いしれ、
一の院の五十歳の誕生日の式典という慶事を
より盛大なものにしようという意向を示しているため、
臣下たちも舞楽の準備で浮き立っている。
ところが、それほどまでに望まれていた藤壺の子は
桐壺帝の御子ではなく、
その最愛の息子光源氏の子であった。
このことが右大臣側の勢力、特に東宮の母で藤壺のライバル、
また源氏の母を迫害した張本人である弘徽殿女御に発覚したら
二人の破滅は確実なのだが、
若い源氏は向こう見ずにも藤壺に手紙を送り、
また親しい女官を通して面会を求め続けていた。
一方で、藤壺は立后を控え狂喜する帝の姿に罪悪感を覚えながらも、
一人秘密を抱えとおす決意をし、
源氏との一切の交流を持とうとしない。
源氏はそのため華やかな式典で
舞を披露することになっても浮かない顔のままで、
唯一の慰めは
北山から引き取ってきた藤壺の姪に当たる少女若紫(後の紫の上)の
無邪気に人形遊びなどをする姿であった。
帝は式典に参加できない藤壺のために、
特別に手の込んだ試楽(リハーサル)を宮中で催すことに決める。
源氏は青海波の舞を舞いながら御簾の奥の藤壺へ視線を送り、
藤壺も一瞬罪の意識を離れて源氏の美貌を認める。
源氏を憎む弘徽殿女御は、舞を見て
「まことに神が愛でて さらわれそうな美しさだこと。おお怖い。」
と皮肉り、
同席していたほかの女房などは
「なんて意地の悪いことを」と噂する。
紅葉の中見事に舞を終えた翌日、
源氏はそれとは解らぬように藤壺に文を送ったところ、
思いがけず返事が届き胸を躍らせた。
五十の賀の後、源氏は正三位に。
頭中将は正四位下に叙位される。
この褒美に弘徽殿女御は「偏愛がすぎる」と不満を露わにし、
東宮に窘められる。
翌年二月、藤壺は無事男御子(後の冷泉帝)を出産。
桐壺帝は最愛の源氏にそっくりな美しい皇子を再び得て喜んだが、
それを見る源氏と藤壺は内心罪の意識に苛まれるのだった。
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