2024-07-01から1ヶ月間の記事一覧
ところで“名のり”を高氏と称する当の人物というのは、 その江北京極家の当主であった。 つまりこの地方の守護大名、 佐々木佐渡ノ判官《ほうがん》高氏殿こそがその人なので……と、 土岐左近は、 一応の紹介の辞でもすましたような、したり顔で 「足利家も源…
「や。……さっきの武者が」 「なに。あの群れの中に」 「見えまする。しかも、何やら佇《たたず》み合って」 犬上郡 の野路をすぎ、 不知哉《いさや》川を行くてに見出したときである。 華やかな旅装の一と群れが河原に立ちよどんで、 頻りとこっちを振向いて…
動画のオープニングは私本太平記24が正しいです 「……さ。いま伺えば、 その若公卿が召連れていた侍童の名は、菊王とか」 「たしか菊王と呼んだと思う」 「ならばそれも、天皇に近う仕えまつる近習の御一名、 前《さき》の大内記、日野蔵人俊基朝臣 《ひのく…
「やっ、もしや?」 とつぜん、馬上の者が、 土にぽんと音をさせて降り立ったので、 それには主従も、何事かと、 怪訝《いぶか》りを持たないわけにゆかなかった。 「おう、間違いはない」と、 武士は又太郎の前へひざまずいた。 そしてもいちど、松明の下か…
人気ブログランキング ——およそ足利家の者にとっては、 先々代の主君家時の話というのは禁句だった。 なぜならば、絶対に公表できない原因で、 しかもまだ三十代に、 あえなく自殺した君だからである。 ところが。 ——その家時の血書の“置文”(遺書)というも…
騎旅《きりょ》は、はかどった。 丹波を去ったのは、先おととい。 ゆうべは近江《おうみ》愛知川《えちがわ》ノ宿《しゅく》だった。 そして今日も、春の日長にかけて行けば、 美濃との境、磨針峠《すりばりとうげ》の上ぐらいまでは、 脚をのばせぬこともな…
【私本太平記22 第1巻 大きな御手14〈みて〉】しずかな姿には、 どことなく、武人の骨ぐみが出来ている。 少しも体に隙がない。 公卿が 日頃に武技の鍛錬もしているという世は いったい何を語るものか。
「さても、あのあと、どうなったかな?」 「最前の舟の出来事で」 「さればよ。あの若公卿の演舌など、 もすこし聞いていたかった。惜しいことを」 「まことに、 異態《いてい》な長袖《ちょうしゅう》でございましたな。 公卿と申せば、ただなよかに、 世事…
長兄の豊後介《ぶんごのすけ》だけは監の味方でなかった。 「もったいないことだ。 少弐の御遺言があるのだから、 自分はどうしてもこの際姫君を京へお供しましょう」 と母や妹に言う。 女たちも皆泣いて心配していた。 母君がどうおなりになったか知れない…
源三位入道頼政は、 摂津守頼光から五代目の子孫三河守頼綱の孫、 兵庫頭《ひょうごのかみ》仲政の子である。 保元の合戦のとき朝廷側につきさきがけしたが別に恩賞はなく、 平治の乱においても親類などを捨てて合戦に力をつくしたが、 みるべき恩賞は与えら…
「——いま汝らの怨《えん》じた上の者とは、 みな武家であろうがの。 よいか、守護、地頭、その余の役人、 武家ならざるはない今の天下ぞ。 ——その上にもいて、 賄賂取りの大曲者《おおくせもの》はそも誰と思うか。 聞けよ皆の者」 彼の演舌は、若雑輩のみが…