第十二帖 須磨(すま)源氏物語
音楽の合奏を侍臣たちにさせておいでになる時に、 帝は尚侍へ、 「あの人がいないことは寂しいことだ。 私でもそう思うのだから、 ほかにはもっと痛切にそう思われる人があるだろう。 何の上にも光というものがなくなった気がする」 と仰せられるのであった…
花散里《はなちるさと》も悲しい心を書き送って来た。 どれにも個性が見えて、 恋人の手紙は源氏を慰めぬものもないが、 また物思いの催される種《たね》ともなるのである。 荒れまさる 軒のしのぶを眺めつつ 繁《しげ》くも露のかかる袖かな と歌っている花…
こうした運命に出逢う日を予知していましたなら、 どこよりも私はあなたとごいっしょの旅に 出てしまうべきだったなどと、 つれづれさから 癖になりました物思いの中にはそれがよく思われます。 心細いのです。 伊勢人の 波の上漕ぐ 小船《をぶね》にも うき…
源氏の手紙に衝動を受けた御息所は、 あとへあとへと書き続《つ》いで、 白い支那《しな》の紙 四、五枚を巻き続けてあった。 書風も美しかった。 愛していた人であったが、その人の過失的な行為を、 同情の欠けた心で見て恨んだりしたことから、 御息所も恋…
源氏が須磨へ移った初めの記事の中に 筆者は書き洩《も》らしてしまったが 伊勢の御息所のほうへも源氏は使いを出したのであった。 あちらからもまたはるばると 文《ふみ》を持って使いがよこされた。 熱情的に書かれた手紙で、典雅な筆つきと見えた。 どう…
尚侍《ないしのかみ》のは、 浦にたく あまたにつつむ 恋なれば 燻《くゆ》る煙よ行く方《かた》ぞなき 今さら申し上げるまでもないことを略します。 という短いので、 中納言の君は悲しんでいる尚侍の哀れな状態を報じて来た。 身にしむ節々《ふしぶし》も…
入道の宮も東宮のために源氏が逆境に沈んでいることを 悲しんでおいでになった。 そのほか源氏との宿命の深さから思っても 宮のお歎《なげ》きは、複雑なものであるに違いない。 これまではただ世間が恐ろしくて、 少しの憐《あわれ》みを見せれば、 源氏は…
鏡の影ほどの確かさで 心は常にあなたから離れないだろうと言った、 恋しい人の面影はその言葉のとおりに目から離れなくても、 現実のことでないことは何にもならなかった。 源氏がそこから出入りした戸口、 よりかかっていることの多かった柱も見ては 胸が…
京では須磨の使いのもたらした手紙によって 思い乱れる人が多かった。 二条の院の女王《にょおう》は 起き上がることもできないほどの衝撃を受けたのである。 焦れて泣く女王を 女房たちはなだめかねて心細い思いをしていた。 源氏の使っていた手道具、 常に…
源氏は京へ使いを出すことにした。 二条の院へと入道の宮へとの手紙は容易に書けなかった。 宮へは、 松島の あまの苫屋《とまや》も いかならん 須磨の浦人 しほたるる頃《ころ》 いつもそうでございますが、 ことに五月雨にはいりましてからは、 悲しいこ…
きわめて短時日のうちにその家もおもしろい上品な山荘になった。 水の流れを深くさせたり、 木を植えさせたりして落ち着いてみればみるほど夢の気がした。 摂津守《せっつのかみ》も 以前から源氏に隷属していた男であったから、 公然ではないが好意を寄せて…
ふる里を 峯の霞《かすみ》は 隔つれど 眺《なが》むる空は同じ雲井か 総てのものが寂しく悲しく見られた。 隠栖《いんせい》の場所は行平《ゆきひら》が 「藻塩《もしほ》垂《た》れつつ侘《わ》ぶと答へよ」 と歌って住んでいた所に近くて、 海岸からはや…
惜しからぬ 命に代へて 目の前の 別れをしばし とどめてしがな と夫人は言う。 それが真実の心の叫びであろうと思うと、 立って行けない源氏であったが、 夜が明けてから家を出るのは見苦しいと思って 別れて行った。 道すがらも夫人の面影が目に見えて、 源…
当日は終日夫人と語り合っていて、 そのころの例のとおりに 早暁に源氏は出かけて行くのであった。 狩衣《かりぎぬ》などを着て、簡単な旅装をしていた。 「月が出てきたようだ。 もう少し端のほうへ出て来て、 見送ってだけでもください。 あなたに話すこと…
七歳から夜も昼も父帝のおそばにいて、 源氏の言葉はことごとく通り、 源氏の推薦はむだになることもなかった。 官吏はだれも源氏の恩をこうむらないものはないのである。 源氏に対して感謝の念のない者はないのである。 大官の中にも弁官の中にもそんな人は…
咲きてとく 散るは憂《う》けれど 行く春は 花の都を 立ちかへり見よ また 御運の開ける時がきっとございましょう。 とも書いて出したが、 そのあとでも他の女房たちといっしょに悲しい話をし続けて、 東宮の御殿は忍び泣きの声に満ちていた。 一日でも源氏…
源氏は東宮へもお暇乞いの御挨拶《あいさつ》をした。 中宮は王命婦《おうみょうぶ》を御自身の代わりに 宮のおそばへつけておありになるので、 その部屋のほうへ手紙を持たせてやったのである。 いよいよ 今日京を立ちます。 もう一度伺って宮に拝顔を得ま…
父帝の御陵に来て立った源氏は、 昔が今になったように思われて、 御在世中のことが目の前に見える気がするのであったが、 しかし尊い君王も過去の方になっておしまいになっては、 最愛の御子の前へも姿を お出しになることができないのは悲しいことである。…
やっと月が出たので、 三条の宮を源氏は出て御陵へ行こうとした。 供はただ五、六人つれただけである。 下の侍も親しい者ばかりにして馬で行った。 今さらなことではあるが 以前の源氏の外出に比べてなんという寂しい一行であろう。 家従たちも皆悲しんでい…
「こういたしました意外な罪に問われますことになりましても、 私は良心に思い合わされることが一つございまして 空恐ろしく存じます。 私はどうなりましても東宮が御無事に即位あそばせば 私は満足いたします」 とだけ言った。 それは真実の告白であった。 …
枯れ葉 written by ハヤシユウ 出立の前夜に源氏は院のお墓へ謁するために北山へ向かった。 明け方にかけて月の出るころであったから、 それまでの時間に源氏は入道の宮へお暇乞いに伺候した。 お居間の御簾《みす》の前に源氏の座が設けられて、 宮御自身…
孤影 written by ハシマミ 源氏はまた途中の人目を気づかいながら 尚侍《ないしのかみ》の所へも別れの手紙を送った。 あなたから何とも言ってくださらないのも 道理なようには思えますが、 いよいよ京を去る時になってみますと、 悲しいと思われることも…
涙雨 written by ミルアージュ これまで東の対の女房として源氏に直接使われていた中の、 中務《なかつかさ》、中将などという源氏の愛人らは、 源氏の冷淡さに恨めしいところはあっても、 接近して暮らすことに幸福を認めて満足していた人たちで、 今後は…
夕暮れ written by キュス 源氏はいよいよ旅の用意にかかった。 源氏に誠意を持って仕えて、 現在の権勢に媚びることを思わない人たちを選んで、 家司として留守中の事務を扱う者をまず上から下まで定めた。 随行するのは特にまたその中から選ばれた至誠の士…
夜と静寂(The night and quiet) written by 蒲鉾さちこ 恋の初めから今日までのことを源氏が言い出して、 感傷的な話の尽きないのであるが、 鶏ももうたびたび鳴いた。 源氏はやはり世間をはばかって、 ここからも早暁に出て行かねばならないのである。 月が…
月夜に光る written by すもち 西座敷にいる姫君は、 出発の前二日になっては もう源氏の来訪は受けられないものと思って、 気をめいらせていたのであったが、 しめやかな月の光の中を、 源氏がこちらへ歩いて来たのを知って、 静かに膝行《いざ》って出た。…
花影 written by Fukagawa 花散里《はなちるさと》が心細がって、 今度のことが決まって以来始終手紙をよこすのも、 源氏にはもっともなことと思われて、 あの人ももう一度逢いに行ってやらねば 恨めしく思うであろうという気がして、 今夜もまたそこへ行く…
落ちる葉、移りゆく秋の中で(Fallen leaves,Shifting of the autumn) written by蒲鉾さちこ 昼に近いころまで源氏は寝室にいたが、 そのうちに帥《そつ》の宮がおいでになり、 三位中将も来邸した。 面会をするために源氏は着がえをするのであったが、 「私…
切ない風に吹かれて…(Blowing in the nostalgic wind) written by蒲鉾さちこ 「私がいつまでも現状に置かれるのだったら、 どんなひどい侘び住居《ずまい》であってもあなたを迎えます。 今それを実行することは人聞きが穏やかでないから、 私は遠慮してしな…
悲哀の響き(Echo with sorrow) written by 蒲鉾さちこ 父の親王は初めからこの女王《にょおう》に、 手もとで育てておいでになる姫君ほどの深い愛を 持っておいでにならなかったし、 また現在では皇太后派をはばかって、 よそよそしい態度をおとりになり、 …