われわれがお傍にある以上ご心配はいりませんぜ。
まあ、こうした点でですな、依怙贔屓《えこひいき》と言っちゃ聞えが悪いが、
われわれもお坊様のことではあり、道中十分に気を配るつもりですがね。
そこでですな、魚心に水心のたとえもあり、遠国に流されるのですから、
土産《みやげ》ものとか食料品とかを知合の方に頼まれたら如何でしょう。
今までどなたも心よく応じてくれましたからお坊様も遠慮は無用ですよ。
お使いならわれわれ引き受けますぜ」
文覚は眼で笑いながら下役人の話を聞いていたが、
「このわしにそうした調法な知人は余りおらんな。
しかしお前たちを失望させるのも気の毒じゃ。
うん、東山のあたりに懇意のものがおる、手紙で頼んでみようか」
そこで下役の一人が、
懐からごそごそ粗末な紙を引き出して筆を添えて文覚に手渡した。
文覚は眼玉をぎょろりと光らせるとたちまち怒りだした。
「いやしくも頼みの文じゃ、この粗末な紙に書けると思うのか」
と、紙を投げ返した。
見幕に恐れをなした下役は慌てて厚手の上質の紙を持ってきた。
文覚これを受け取るとにやりとした。
「わしはな、よう字を書かんのじゃ。すまんがお前ら書いてくれんか」
ちびた筆で下役の一人が口述筆記をすると、やがて厚手の和紙に汚い字が並ぶ。
「この文覚は高雄の神護寺創立供養のため、百方勧進帳を捧げて檀那を求め歩いたが、
寄進してもらえぬばかりか、今流罪の憂き目に会っている。
遠く伊豆へ流されるこの身には、土産もの、食料が必要と存ずれば、この文持つ者にお渡しあれ」
「で、宛名はどなたでございましょう」
「清水の観音じゃ」
と平然という文覚に、役人がこんどはむっとした。
「われわれは役人、それを知ってからかいなさるのか」
「いやいや、わしは決して人をだましたり、からかったりいたしはせぬ。
この文覚、清水の観音を深く信じ頼りにしているものじゃ、
わしの知合いといったら観音以外にないのじゃよ」
賄賂《わいろ》をとり損って仏頂顔の護送役と共に、
文覚は伊勢国|阿能《あの》の津から船で東国へ下った。
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