その中で最も激怒したのは清盛である。
青筋を立ててののしる清盛の姿をみては、
人々も何かただごとでないものを感じた。
「そもそも頼朝という奴は、あの平治元年十二月、
父|義朝《よしとも》の謀叛で死罪になるはずだったのだ。
池禅尼《いけのぜんに》の嘆願でようやく死一等を免れて流罪になった奴だ。
奴の命を助けたのは誰と思っているのだ。
この大恩を忘れて当家に向って弓を引き矢を放つ、畜生に劣る奴じゃ。
こうした奴を神も仏もお許しになるはずがない、
頼朝の上にはただちに天罰が下るであろう」
清盛の怒りはとどまるところを知らず、あらゆる呪詛《じゅそ》を頼朝に浴せかけたが、
側近もこんなに怒っている清盛を見たことはまだ一ぺんもなかった。
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