しばらくして頼朝は静かにいった。
「そもそも頼朝は勅勘の身、罪人にござる。
これの許しなくして、いかにして謀叛が起せましょうか」
「そのことならば、いとも、たやすい、わしが京に上り御辺の許しを頂いてこよう」
「御坊も勅勘の身でござるぞ、その身で他人の咎の許しを貰おうとは、
些《いさ》さか笑止、そなたの言葉は信用できぬ」
と嘲笑《あざわら》うと、文覚は急に不機嫌になった。
「わしの身を願いに行くのならそれは間違っていよう、じゃが御辺のことじゃ、
何んでわしが遠慮いたそうか。御辺は笑うが、笑うのは間違いじゃ。
わしは福原の新都に上る、三日以上はかかるまい、院宣を頂くに一日は要る、
もどるまで八日もあれば足りよう、御辺はわしの吉報を待つがよい」
まだ信じかねる心を抱きつづける頼朝を後に、文覚は奈古屋に帰った。
弟子には、人に隠れて伊豆山中に七日間参籠する、といい置いて直ちに新都に向った。
福原についたのは三日後である。
多少の縁があった前右兵衛督光能《さきのうひょうえのかみみつよし》のもとに赴き、
驚く光能にいった。
「拙僧がお尋ねしたのは外でもない。
伊豆国の流人《るにん》頼朝はわしの見るところ、
兵家の棟梁《とうりょう》たる人物、また天下の源氏を糾合《きゅうごう》するに足る材じゃ。
もし勅勘を許され院宣を賜わるならば、関東八カ国の兵を集めて、
平家を亡ぼし、乱れた天下を鎮めよう。
わしの頼みはこれじゃ、どうか引き受けて下され」
「御坊のお話は、よくわかりました。が、自分とて昔とちがい、
今は三官みなやめさせられて、無官の身でござる、苦しいところじゃ。
法皇もおしこめられておられるから、近づくのも容易ではない。
御坊のたくらみも成功は覚束かぬとは思うが、折角の頼みだし、
法皇も御坊の趣旨にはご賛意があろうと思う、とにかく、できるだけのことはしてみよう」
光能は、そういって法皇のところに行き、機会をとらえて秘かに奏上すると、
果して法皇は大きく動かされた。
平家の強引な政策の重圧下にあった法皇にとって、これは重大な情報であった。
孤立して何んの手段も持たぬ法皇が、これに希望を託さぬなら、
まったく囚人同様の月日をあるいは永久に送らねばならぬかも知れぬ。
院宣を下した法皇にとってこれは大きな賭だったが、
相当確度の高い賭にはちがいなかった。
🌊🎼交戦 written by ゆうり
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