やがて、院宣をしっかと首にかけた文覚は喜び勇んで伊豆へと下った。
旅程は三日である。
頼朝の前に現れた文覚は、首からはずした院宣を渡した。
さしも沈静な頼朝の顔にも血が上った。
実は頼朝は不安な日を送っていたのであった。
文覚の余計な奔走が藪蛇《やぶへび》となり、
この上重い咎なぞ受けてはかなわぬと思っていた。
また文覚のいう政治力も半心半疑であった。
ここ一週間というもの、文覚の福原での行動が気にかかりつづけていた、
どの様な結果がもたらされるか、それは頼朝にもまったくわからなかった。
だが、今彼の手にしているのは勅勘の許しであり、平家追討の院宣である。
手が震えていたのを文覚はじっと見ていた。
文覚が伊豆を後にしてから、彼の言葉のように丁度八日目の正午であった。
頼朝は新しい烏帽子《えぼし》、浄衣《じょうえ》をつけ身を浄《きよ》めると、
院宣を三度拝してから封を開いた。
「近年、平氏王威を蔑し軽んじ、仏法を破滅し王法を乱さんと欲す。
それわが国は神国なり。宗廟相並んで、神徳これ新なり。
故に朝廷開基の後、数千余歳の間、帝位を傾け、国家をあやぶまんと欲するもの、
みな以て敗北せずということなし。
しかればすなわち、かつは神道の冥助《めいじょ》にまかせ、
かつは勅旨の旨趣《しいしゅ》を守って、早く平氏の一類を亡ぼして、
朝家《ちょうけ》の怨敵《おんてき》を退けよ。
譜代相伝《ふだいそうでん》の兵略を継ぎ、累祖《るいそ》奉公の忠勤をぬきんでて、
身を立てて家を興すべし。
すなわち院宣かくの如し。よって件《くだん》の如くお伝えする。
治承四年七月十四日
前右兵衛督光能承って謹上《きんじょう》
前右兵衛佐殿へ」
院宣を両三度読み終った頼朝は、大きく息を吐いた。
流人の生活は、彼の心の中で、今終りを告げたのである。
彼の眉宇《びう》に決意がながれた。
頼朝はこの院宣を錦の袋に入れて身から離さなかった。
石橋山の合戦の折もこの錦袋と共に戦ったという。
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