「これは」
「御辺の父故左馬頭義朝殿の首じゃ。
平治の乱以後、この頭は獄舎の前の苔《こけ》の下に埋もれ、
後世を弔うもの一人といえどおらぬのじゃ。
わしは存ずる旨あって獄守にこの髑髏を乞い、以来山々寺々を修行で廻る間、
これを首にかけて二十余年、弔い奉ったのじゃ、
いまは定めし迷いも晴れて浮ばれたことと存ずる。
わしはわしなりに故義朝殿のおんためにはご奉公して来たものと存ずるのじゃ」
と頭を垂れて下に置いた髑髏を見、
また二十余年の修行を回顧するもののように眼を閉じた。
頼朝は俄かに信じかねる面持ではあったが、父の首と聞き懐しさの余り涙をこぼした。
しかし相手は名にし負う怪僧である、
父の首という髑髏を前にして疑心湧き出ずるのを押えることは出来なかった。
そもそも文覚が伊豆へ尋ねて来ての話なら筋が通る。
しかし流された土地がこの伊豆というのは偶然である。
神護寺《じんごじ》再建の悲願のかたわら、
平家覆滅の大願を秘かに抱きつづけたという話も特に聞いたことはない。
二十余年髑髏と共にあったという、それならば修験者たちも何時しか知り得ようし、
その大願が人に伝わるであろう、が、一向に聞いたこともない。
聡明な頼朝は考えこんでしまった。
しかしまた、文覚の話を全くの嘘ときめつける反証も彼にはない。
特に信じてならぬという理由もない。
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