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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

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【平家物語125 第5巻 文覚の荒行①】伊豆国 蛭《ひる》が小島に流された頼朝。静かに流人の生活を送ってきた彼が、なぜ兵を起し、平家に立ち向ったのか。それは高雄山の文覚上人の勧めがあったからである。 

 清盛のいうように頼朝はさる平治元年十二月、

父|左馬頭《さまのかみ》義朝の謀叛によって殺される運命にあったが、

池禅尼の必死の嘆願で死を免れ、十四歳のとき、

永暦《えいりゃく》元年三月二十日、

伊豆国|北条《ほうじょう》蛭《ひる》が小島《こじま》に流されたものである。

頼朝はここで二十余年の春秋を送り迎えた。

これまで静かに流人の生活を送ってきた彼が、

何故 今年《ことし》になって兵を起し、平家に立ち向ったのか。

それは高雄《たかお》山の文覚上人の勧めがあったからである。

 この文覚上人というのは、

渡辺の遠藤左近将監茂遠《えんどうさこんのしょうげんもちとお》の子で、

もとは遠藤武者盛遠《えんどうむしゃもりとお》といって

上西門院《じょうせいもんいん》の家臣であった。

ところが十九の年、仏門に帰依する心が俄かにおこり、

ただちに髻《もとどり》を切り捨て修行に出かけた。

この若者は修行とは辛いものと聞き及ぶが、どの位のものか、俺が一つ試そう、

辛い修行に耐えるかどうか俺の心が知りたいといって、

夏の六月、山里の藪に入って修行した。

雲一つない空からぎらつく太陽が照りつければ、

灼《や》きつく大地に風一つなく草の葉一枚もそよがぬ日、

山ぞいの藪の中に入ると裸になって大の字に寝ころんだのである。

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