この忠度には、心やさしい話がある。
彼はさる皇女から生れた女房を恋してそこへ通っていたが、
ある夜、訪ねてゆくと、合憎、女の来客中であった。
話がはずむのか客は帰らず、夜は空しく更けてゆく。
客は高貴な女房であるから、忠度といえどもお帰り願う訳にはいかない。
焦《いら》だった忠度は軒端近くたたずみ、
扇を手荒く使ってそれとなく意志を伝えようとしたが、一向にその効果はない。
夜は、いよいよ更け行く。軒端の忠度の扇がばたばた物すごい音を立てる。
すると室内から優しい声が外に洩れてきた。
「野もせにすだく虫の音よ」
この口ずさむ声に忠度は、おとなしく扇を収め、そのまま家にもどったのである。
その後、女房のところに通った夜、
「いつかの夜、なぜ扇を使い止められたのですか」
と女房に問われた忠度は、
「かしがまし野もせにすだく虫の音よ、とおっしゃったでしょう。
それで残念でしたが、淋しくひとり帰ったのですよ」
といった。
この女房は忠度出陣の噂を聞き、小袖一かさねを贈ったが、
千里の旅の別れを惜しんで和歌一首を添えた。
東路《あずまじ》の草葉をわけん袖よりも
たたぬ袂《たもと》の露ぞこぼるる
忠度はすぐ歌を返した。
別れ路を何かなげかん越えてゆく
関もむかしの跡と思えば
この、関も昔の跡というのは、先祖平貞盛、俵藤太秀郷《たわらとうたひでさと》が
将門《まさかど》追討のために東国へ下ったことを思い出して詠んだものである。
🌼🎼 Silence written by 北見ヒツジ
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