このとき後白河法皇の御前では賑やかに楽が奏されていた。
妙音院の太政大臣は琵琶を弾じながら詩歌をみごとに朗詠していた。
按察使《あぜち》の大納言|資賢《すけかた》は和琴《わごん》を鳴らし、
その子|右馬頭資時《うまのかみすけとき》は風俗《ふうぞく》、
催馬楽《さいばら》を歌い、
四位の侍従|盛定《もりさだ》は拍子をとりながら今様《いまよう》を歌うなど、
和気|藹々《あいあい》のうちに得意の芸が披露されていた。
楽しいざわめきが院中に渡れば、法皇も興がのったのか附歌《つけうた》を共に歌う。
そこへ文覚の音声とどろく勧進帳の読みである。
那智の滝に、山の嵐に鍛えた彼の声には、
繊細を尊しとした温室育ちの殿上人の声などはひとたまりもなかった。
たちまち朗詠の声は消され、調子は狂い、拍子は乱れた。御遊《ぎょゆう》は中断した。
そして威嚇的な文覚の声がひびき伝わる。法皇が顔色を変えて怒られたのも無理はなかった。
「御遊の最中というのに何者だ、まことに無礼なやつ、そっ首掴んで放り出すがよい」
この仰せに院中の血気ざかりのものがばらばらと進み出た。
その中の一人|資行判官《すけゆきはんがん》という男は文覚を認めると大手をひろげて怒鳴った。
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