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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【平家物語151 第5巻 奈良炎上①】京では、興福寺が三井寺と手を組み、高倉宮を受け入れたり、迎えに兵を出すなど、明らかに朝敵であると断じた。奈良は、平家が攻め寄せるとの噂で大衆は一斉に騒ぎ出した。

 京では、奈良興福寺が三井寺と手を組み、高倉宮を受け入れたり、

あるいは迎えに兵を出すなどの行為は、明らかに朝敵であると断じた。

奈良には、平家が攻め寄せるとの噂が伝わったので大衆は一斉に騒ぎ出した。

これを聞いた関白はことを穏便に計ろうと

有官《うかん》の別当忠成《べっとうただなり》を使者として立てた。

「いうべきことあらば申し述べよ、何度でも奏上して仕わそう」

 というのである。奈良にこの意を体して赴いた別当忠成の鎮撫《ちんぶ》の言は、

いきり立った興福寺の大衆の耳に入らなかった。

まして年来平家に対して憎悪の念を抱きつづけてきた寺である。

兵が攻めるとの噂にも殺気立っていた。大衆はどっと忠成を取り囲んだ。

「乗物から引きずり下ろせ、かまわぬから髻《もとどり》を切ってしまえ」

 と口々に叫ぶ。忠成は青くなって逃げ帰った。

次に使いとなった右衛門督親雅《うえもんのかみちかまさ》も

大衆から同じ待遇を受けたが、

二人の雑色《ぞうしき》が髻を切られてしまった。

 二人の使いを追い帰した奈良では、

余勢をかって毬杖《ぎっちょう》の玉の大きなものを作り、

目鼻をつけるとこれを入道清盛の首と称して、

踏め、打てなどはやし立てる中を、玉を蹴り、

棒で叩くなど大いに憂《うれい》を晴らしていた。

天皇の外祖である入道にこのような仕打ちをするのは、

天魔の仕業であるという非難も多く聞かれた。

 清盛は大衆を鎮める決意を固めたが、ことは慎重に運ばれた。

瀬尾太郎兼康《せのおのたろうかねやす》を大和国の検非違使に任じ、

五百余騎をひきいて奈良に向うことになったが、

出発のとき清盛は更に慎重な注意をあたえた。

「衆徒はいま気が立っておるが、奴等が狼藉《ろうぜき》に及ぶとも相手になるな。

甲冑も弓矢も共に避けよ。こちらから打って出ることは断じてまかりならぬ」

 兼康は武装のない兵五百余騎とともに奈良へ着いたが、

もとよりこの間の事情を大衆が知るはずはない。

すわ敵寄せたるぞ、とこれを囲み六十四人を捕縛するや一人一人の首をはね、

猿沢《さるさわ》の池の端にずらりとかけ並べて見せしめとした。

兼康からの報告をきくと今度は清盛も心底から怒った。