この頃、美福門院がおかくれになったので大赦があり、
牢につながれた文覚もこの恩恵に浴し、出獄した。
しかし文覚は、遠くの山にでも行って修行でもなされば、
という声には一向馬耳東風、平然たる面持で再び例の勧進帳を京の街に読み、
諸方に寄進すべき檀那を求め歩き廻っていた。
これだけでなく、勧進帳を読むかたわら不吉なことを大声にいいふらすのである。
「もはや今の世は末世じゃ、この世に戦乱起って乱れ、君も臣も共に亡びるじゃろう。
かくすることこそ、この浅ましき世の救いとはなるじゃろう」
すでに戦乱の不安にさらされていた人心である。
この確信ありげな坊主の託宣に動揺する懸念は十分にある。
人心のみでない、政府自体が動揺していたのであるから、この文覚の言に過敏な神経をとがらした。
「あの法師は都におけぬ、流罪にせよ」
との命が下されたのは、むしろ当然であった。
文覚は伊豆国に流されることに決まった。
時の伊豆守は源三位入道頼政の嫡子仲綱である。
彼の采配で東海道を船で流すがよいということに決まった。
出立を控えて、文覚の護送役となった検非違使庁の下役人はやんわり話し出した。
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