2024-07-01から1ヶ月間の記事一覧
【源氏物語716 第22帖 玉鬘16】昔あの時に気おくれがして知らせられなかったよりも、絶体絶命のようになって、右近は、「お話ししてもかいのないことです。奥様はもう早くお隠れになったのです」と言った。
やっとおとどが口を開いて、 「奥様はどうおなりになりました。 長い年月の間夢にでもいらっしゃる所を見たいと大願を立てましたがね、 私たちは遠い田舎の人になっていたのですからね、 何の御様子も知ることができません。 悲しんで、悲しんで、 長生きす…
「どうもわかりません。 九州に二十年も行っておりました卑しい私どもを 知っておいでになるとおっしゃる京のお方様、 お人違いではありませんか」 と言う。 田舎風に真赤《まっか》な掻練《かいねり》を下に着て、 これも身体《からだ》は太くなっていた。 …
【源氏物語714 第22帖 玉鬘14】呼ばれて出て来る女を見ると、昔見た人であった。昔の夕顔夫人に、長く使われていて、あの五条の隠れ家にまでも来ていた女であることがわかった右近は、夢のような気がした。
こちらの豊後介は幕の所へ来て、食事なのであろう、 自身で折敷《おしき》を持って言っていた。 「これを姫君に差し上げてください。 膳《ぜん》や食器なども寄せ集めのもので、まったく失礼なのです」 右近はこれを聞いていて、 隣にいる人は自分らの階級の…
僧の言ったとおりに参詣者の一団が町へはいって来た。 これも徒歩で来たものらしい。 主人らしいのは二人の女で召使の男女の数は多かった。 馬も四、五匹引かせている。 目だたぬようにしているが、 きれいな顔をした侍などもついていた。 主人の僧は先客が…
姫君は母の顔を覚えていなかった。 ただ漠然《ばくぜん》と親というものの面影を 今日《きょう》まで心に作って来ているだけであったが、 こうした苦難に身を置いては、 いっそう親というものの恋しさが切実に感ぜられるのであった。 ようやく椿市《つばいち…
「神仏のお力にすがれば きっと望みの所へ導いてくださるでしょうから、 お詣《まい》りをなさるがいいと思います。 ここから近い八幡《やわた》の宮は九州の松浦、 箱崎《はこざき》と同じ神様なのですから、 あちらをお立ちになる時、お立てになった願もあ…
九条に昔知っていた人の残っていたのを捜し出して、 九州の人たちは足どまりにした。 ここは京の中ではあるが はかばかしい人の住んでいる所でもない町である。 外で働く女や商人の多い町の中で、 悲しい心を抱いて暮らしていたが、 秋になるといっそう物事…
豊後介《ぶんごのすけ》はしみじみする声で、 愛する妻子も忘れて来たと歌われているとき、 その歌のとおりに自分も皆捨てて来た、 どうなるであろう、 力になるような郎党は皆自分がつれて来てしまった。 自分に対する憎悪の念から 大夫の監は彼らに復讐を…
いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、 いとやむごとなき際にはあらぬが、 すぐれて時めきたまふありけり。 はじめより我はと思ひあがりたまへる御方々、 めざましきものにおとしめそねみたまふ。 同じほど、それより下臈の更衣たちは、…
浮島を 漕ぎ離れても 行く方や いづくとまりと 知らずもあるかな 行くさきも 見えぬ波路に 船出して 風に任する 身こそ浮きたれ 初めのは兵部の作で、あとのは姫君の歌である。 心細くて姫君は船でうつ伏しになっていた。 こうして逃げ出したことが肥後に知…
「御念までもない。しかし御不安なれば、聞かずとも」 「いや、申さいでは天意にそむく。足利殿も天皇領の御住人。 ……そこはかとなく、待てる時節が来ているとは思しめさぬか」 「どういう時節が」 「これはまた、あっぱれな、おとぼけ顔ではある」 打ッちゃ…
次郎がすっかりあちらがたになっているのを 家族は憎みながらも、 豊後介の助けを求めることが急であった。 どうして姫君にお尽くしすればよいか、 相談相手はなし、 親身の兄弟までが監に反対すると言って、 異端者扱いにして自分と絶交する始末である。 監…
「この道誉とて、鎌倉の恩寵をうけた一人、 なにも世変《せいへん》を好むものではないが、 かなしいかな、天運循環の時いたるか、 北条殿の世もはや末かと見すかさるる。 高時公御一代と申しあげたいが、ここ数年も、こころもとない」 道誉の眸は、高氏の眸…
この時代にはまだ後世のいわゆる茶道などは生れてない。 けれど喫茶の風は、ぼつぼつ、拡まりかけていたのである。 禅僧の手で漢土から渡来した始めのころは、 禅堂や貴人のあいだに、養生薬のように、 そっと愛飲されていたにすぎなかったが、 近ごろでは “…
まだ除夜の鐘には、すこし間がある。 とまれ、今年も大晦日《おおつごもり》まで無事に暮れた。 だが、あしたからの来る年は。 洛中の耳も、大極殿《だいごくでん》のたたずまいも、 やがての鐘を、 偉大な予言者の声にでも触《ふ》れるように、 霜白々と、…
治承四年正月一日、 法皇の鳥羽殿とばどのには、人の訪れる気配もなかった。 入道相国の怒り未だとけず、公卿たちの近づくのを許さなかったし、 法皇も清盛をはばかっておられたからである。 正月の三日間というもの、朝賀に参上するものもいなかったが、 僅…
【平家物語BGM 第4巻】厳島御幸 還御 源氏そろえ 鼬の沙汰 信連合戦 園城寺へ入御 競 山門への牒状 南都への牒状 南都返牒 大衆そろえ 橋合戦 宮の御最後 若宮御出家 通乗の沙汰 鵺 三井寺炎上
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【平家物語 第3巻】 治承二年の正月がやってきた。 宮中の行事はすべて例年の如く行われ、 四日には、高倉帝が院の御所にお出でになり、 新年のお喜びを申し上げた。 こうして表面は、 いつもながらの目出度い正月の祝賀風景が繰りひろげられていたが、 後白…
祇園精舎《ぎおんしょうじゃ》の鐘の声、 諸行無常の響《ひびき》あり。 娑羅双樹《しゃらそうじゅ》の花の色、 盛者《しょうじゃ》必衰の理《ことわり》をあらわす。 おごれる人も久しからず、唯、春の夜の夢のごとし。 猛《たけ》きものもついにはほろびぬ…
二十余年の長きにわたって、その権勢をほしいままにし、 「平家に非《あら》ざるは人に非ず」とまで豪語した平氏も 元はといえば、微力な一地方の豪族に過ぎなかった。 その系譜をたずねると、 先ず遠くさかのぼって桓武天皇の第五皇子、 一品式部卿葛原親王…
【平家物語 第2巻】 治承元年五月五日、叡山の座主、明雲《めいうん》大僧正は、 宮中の出入りを差しとめられた。 同時に、天皇平安の祈りを捧げるために預っていた、 如意輪観音《にょいりんかんのん》の本尊も取上げられた。 更に検非違使庁《けびいしのち…
あいにく、正月三日の空は、薄曇りだった。 そして折々は映《さ》す日光が、 北山の遠い雪を、ふと瞼にまばゆがらせた。 ——天皇の鸞輿《らんよ》は、もう今しがた、 二条の里内裏《さとだいり》をお立ち出でと、 沿道ではつたえていた。 行幸《ぎょうこう》…
まだ除夜の鐘には、すこし間がある。 とまれ、今年も大晦日《おおつごもり》まで無事に暮れた。 だが、あしたからの来る年は。 洛中の耳も、大極殿《だいごくでん》のたたずまいも、 やがての鐘を、 偉大な予言者の声にでも触《ふ》れるように、 霜白々と、…
「お待ちなさい。そのお返事の内容だが」 監《げん》がのっそりと寄って来て、 腑《ふ》に落ちぬという顔をするのを見て、 おとどは真青《まっさお》になってしまった。 娘たちはあんなに言っていたものの、 こうなっては気強く笑って出て行った。 「それは…
——ははあ。 かかる態の人物の生き方やら嗜好をさしていうものか。 又太郎はふと思いついた。 ちかごろ“婆娑羅《ばさら》”という流行語をしきりに聞く。 おそらくは、 田楽役者の軽口などから流行《はや》り出したものであろうが、 「ばさらな装い」とか。「…
春昼《しゅんちゅう》、酒はよくまわる。 又太郎もつよいたちだが、佐々木にも大酒の風がある。 城内の大庭には、紅梅白梅が妍をきそい、 ここには杯交のうちに気をうかがい合う両高氏の笑いがつきない。 はからずも、 これこそ“婆娑羅”な酒《さか》もり景色…
「さすが花奢《かしゃ》だな、右馬介」 「おなじ守護大名ながら、 下野国の御家風と、ここの佐々木屋形では」 「まさに、月とすっぽん」 ——翌朝、起き出てみると、 総曲輪《そうぐるわ》は砦《とりで》づくりらしいが、 内の殿楼、庭園の数寄《すき》など、 …
ところで“名のり”を高氏と称する当の人物というのは、 その江北京極家の当主であった。 つまりこの地方の守護大名、 佐々木佐渡ノ判官《ほうがん》高氏殿こそがその人なので……と、 土岐左近は、 一応の紹介の辞でもすましたような、したり顔で 「足利家も源…
「や。……さっきの武者が」 「なに。あの群れの中に」 「見えまする。しかも、何やら佇《たたず》み合って」 犬上郡 の野路をすぎ、 不知哉《いさや》川を行くてに見出したときである。 華やかな旅装の一と群れが河原に立ちよどんで、 頻りとこっちを振向いて…
動画のオープニングは私本太平記24が正しいです 「……さ。いま伺えば、 その若公卿が召連れていた侍童の名は、菊王とか」 「たしか菊王と呼んだと思う」 「ならばそれも、天皇に近う仕えまつる近習の御一名、 前《さき》の大内記、日野蔵人俊基朝臣 《ひのく…