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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【私本太平記24 第1巻 大きな御手16〈みて〉〜「足利家七代の君、若殿には御祖父にあたる家時公の御遺書のことでござります」肺腑を突くとは、こんな言を擬して、一瞬、はっと息を呑ませる鋭さをいうのだろう。

🙇動画のオープニングは私本太平記24が正しいです🙇

「……さ。いま伺えば、

 その若公卿が召連れていた侍童の名は、菊王とか」

「たしか菊王と呼んだと思う」

「ならばそれも、天皇に近う仕えまつる近習の御一名、

 前《さき》の大内記、日野蔵人俊基朝臣

 《ひのくろうどとしもとあそん》に相違ございますまい」

「どうしてわかる」

「菊王は、後宇多の院の侍者、寿王冠者の弟とやら。

——そして、とくより日野殿の内に

 小舎人《こどねり》として飼われおる者とは、

 かねがね聞き及ぶところにござりまする」

「そうか。そう分って、

 何やら胸のつかえが下がった気がする。

 みかど後醍醐のおそばには、なおまだ、

 ああした公卿振りの朝臣《あそん》があまたおるのか」

「は。世上、つたえるだけでも、

蔵人殿のほか、日野参議|資朝《すけとも》、

 四条|隆資《たかすけ》、花山院師賢《かざんいんもろかた》、

 烏丸成輔《からすまなりすけ》など、

 いずれも気鋭な朝臣がたが、

 これも豪気なるお若き天子に、

 つねづね侍《かしず》き申しあげ、

 また政務をみそなわす記録所には、

 吉田定房、万里小路宣房《までのこうじのぶふさ》、

 北畠親房の三卿を登用召され、

 世間ではそれを“三|房《ぼう》ノ智《ち》”と

 申したりしておりますそうな」

「もっぱら宋学の新説を学びとり、

 儒仏の究理なども旺《さかん》と聞くが」

「されば、天皇おみずからも」

「では、異国の学を鑑《かがみ》として、

 時弊を打ち破り、

 ひいては執権北条の幕府をもくつがえして、

 政治《まつりごと》を遠きいにしえに

 回《かえ》さんとの思し召でもあるか」

「あ。めッたなお口走りは」

 たれか坪の渡りをこなたへ来るらしい跫音《あしおと》だった。

 が、顔を出したのは、引田妙源という法師武者。

 気づかいは要《い》らぬこれも足利党腹心の一人であった。

 妙源は手造りの草餅を盆にのせて、

うやうやしく又太郎の前にすすめた。

「何かお慰みにと、初春《はる》の蓬《くさ》など探させました。

 甘味は干柿の粉を掻き溜めたもの。

 甘葛《あまずら》とはまた風味もかくべつ違いますので」

 この引田妙源は、

以前、又太郎高氏の父、貞氏の祐筆を勤めていたこともあり、

ここでもその文書上の才能は代官経家に次ぐ地位の者だった。

「お、山里にも、もう蓬《よもぎ》が萌え出たか」

又太郎がその一つ二つを喰べるのを、

妙源はうれし気に見て。

「そうしておいで遊ばすと、

 御幼時のお姿も偲ばれてまいりまする。

 鑁阿寺《ばんなじ》の御参詣には、よう私もお供いたし、

 春なれば、寺ではよく蓬の餅を若殿へ差上げましたもので」

「そうそう、祖先の忌日《きにち》ごとには、

 かならずあの菩提寺の庭を見た。

——足利家代々の苔さびたおくつきに額ずいた後で」

「特に、若殿御元服の日、

 その報告を御先祖にささげられた後で、

 重臣どもの意見の相違から、

 ついに“置文《おきぶみ》”の披見なく、

 御帰館となったことは、なお御記憶でござりましょうが」

「はて、置文とは」

「足利家七代の君、

若殿には御祖父にあたる家時公の御遺書のことでござりまする」

肺腑を突くとは、こんな言を擬して、

一|瞬《とき》、はっと息を呑ませる鋭さをいうのだろう。

又太郎は、いや、かたわらの経家さえも、

粛と、顔いろを研《と》いで、固くなった。

🍃🎼枯れ葉 written by ハヤシユウ

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