この時代にはまだ後世のいわゆる茶道などは生れてない。
けれど喫茶の風は、ぼつぼつ、拡まりかけていたのである。
禅僧の手で漢土から渡来した始めのころは、
禅堂や貴人のあいだに、養生薬のように、
そっと愛飲されていたにすぎなかったが、
近ごろでは
“茶寄合《ちゃよりあい》”などという言葉さえ聞くほどだった。
花競べ、歌競べ、虫競べなどの遊戯にならって、
十種二十種の国々の銘茶をそろえ、
香気や色味をのみくらべるのを“闘茶”といい、
その闘茶にはまた、
莫大な賭け物をかけたりする婆娑羅な人々もあるとは
——高氏も、聞きおよんでいたことだった。
けれどいま、道誉が彼をみちびいた離れは、
田舎びた無仏の一堂で、一幅の壁画と、
棚には錫の茶壺《ちゃこ》、
天目形《てんもくなり》の碗などがみえ、
庭園の休み所らしい趣《おもむき》はあるが、
闘茶の茶寄合の俗風はどこにもない。
「……ここなれば人けもなし、なんでも話せる。
さ、高氏どの、くつろごうよ」
道誉は、釜のかけてある一|炉《ろ》を前にあぐらをくみ、
土岐左近はと見れば、茶堂の縁や窓に立って、
潜む者はないかと、外をたしかめているふうだった。
「じつは」
錫の茶壺から、碗のうちへ、
茶の葉をサラサラとこぼし入れて、
釜の湯を湯柄杓《ゆびしゃく》で汲みながら、道誉はいった。
「……胸をひらいて、いちど、山ほどなお話がしてみたかった。
与えられたこのよい機会に」
高氏はすぐさとった。
ここへ自分を誘ったには何かべつな底意があってにちがいないと。
——が、さりげなく、
天目台の碗を、掌《て》にとって。
「おお爽《さわ》やかな。このようなよい茶は足利では知らぬ。
舶載の物でもあるか」
あらぬ問いには、道誉の方でも、それを高氏の独り言にさせて、
答えもしない。
黙々と、次の茶を、土岐左近に与え、
自分の掌《て》にも一碗を乗せた。
「鎌倉はよくご存知でしょうな」
緒《いとぐち》をさがすような口ぶりで、
しばらく間《ま》を措き、
「たしか、足利殿の鎌倉の別邸は、
大蔵ヶ谷《おおくらがやつ》であったと思うが」
「いや、その鎌倉の家には、幼少数年はいたが、
以後、多くは足利の地でした」
「では、府内のさま、執権どのの左右、また御所内のことなどは」
「くわしく存じもよらぬ。いずれいつかは幕命を拝して、
鎌倉勤めの日もあるでおざろうが」
「その日には、おそらく、おん許のような純なお人は、
あきれ返るに違いない。
これが天下の首府かと、鎌倉の腐《す》えたる醜さに、
今から、驚かれぬご要心でもしておかれぬとな」
世の危うさが人の口端《くちは》にのぼりだすと、
たれもがみな、同じようなことをいうものではある。
——高氏は薄ら笑った。そして敢てにも、
自身を聞《き》き人《て》においていた。
💐🎼#雪の終わりに written by#MATSU
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