二十余年の長きにわたって、その権勢をほしいままにし、
「平家に非《あら》ざるは人に非ず」とまで豪語した平氏も
元はといえば、微力な一地方の豪族に過ぎなかった。
その系譜をたずねると、
先ず遠くさかのぼって桓武天皇の第五皇子、
一品式部卿葛原親王《いっぽんしきぶきょうかずらはらのしんのう》
という人物が、その先祖にあたるらしい。
葛原親王の孫にあたる、高望王《たかもちのおう》は、
藤原氏の専制に厭気がさし、
無位無官のまま空しく世を去った父の真似はしたくないといって、
臣籍に降下し、中央の乱脈な政治を見限って、
専ら、地方で武芸をみがいてきた。
その子良望《よしもち》から正盛まで六代、
諸国の受領《ずりょう》として、
私腹を肥やす傍ら、
武門の名を次第に轟《とどろ》かしていったのである。