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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

高麗人《こまうど》の観相【源氏物語 第1帖 桐壺 8の2】鴻臚館にて皇子の相を観てもらう。帝は、将来を考え源氏の姓を賜ることにした。

その時分に高麗人《こまうど》が来朝した中に、
上手《じょうず》な人相見の者が混じっていた。
帝はそれをお聞きになったが、
宮中へお呼びになることは
亭子院のお誡《いまし》めがあっておできにならず、
だれにも秘密にして
皇子のお世話役のようになっている右大弁《うだいべん》の子のように思わせて、
皇子を外人の旅宿する鴻臚館《こうろかん》へおやりになった。

相人は不審そうに頭《こうべ》をたびたび傾けた。
「国の親になって最上の位を得る人相であって、
さてそれでよいかと拝見すると、
そうなることはこの人の幸福な道でない。
国家の柱石になって帝王の輔佐をする人として見てもまた違うようです」
と言った。
弁も漢学のよくできる官人であったから、
筆紙をもってする高麗人との問答にはおもしろいものがあった。
詩の贈答もして
高麗人はもう日本の旅が終わろうとする期《ご》に臨んで
珍しい高貴の相を持つ人に逢《あ》ったことは、
今さらにこの国を離れがたくすることであるというような意味の作をした。
若宮も送別の意味を詩にお作りになったが、
その詩を非常にほめていろいろなその国の贈り物をしたりした。

朝廷からも高麗《こま》の相人へ多くの下賜品があった。
その評判から東宮の外戚の右大臣などは
第二の皇子と高麗の相人との関係に疑いを持った。
好遇された点が腑《ふ》に落ちないのである。
聡明な帝は高麗人の言葉以前に皇子の将来を見通して、
幸福な道を選ぼうとしておいでになった。
それでほとんど同じことを占った相人に価値をお認めになったのである。
四品《しほん》以下の無品《むほん》親王などで、
心細い皇族としてこの子を置きたくない、
自分の代もいつ終わるかしれぬのであるから、
将来に最も頼もしい位置をこの子に設けて置いてやらねばならぬ、
臣下の列に入れて国家の柱石たらしめることがいちばんよいと、
こうお決めになって、
以前にもましていろいろの勉強をおさせになった。
大きな天才らしい点の現われてくるのを御覧になると
人臣にするのが惜しいというお心になるのであったが、
親王にすれば天子に変わろうとする野心を持つような疑いを
当然受けそうにお思われになった。
上手な運命占いをする者にお尋ねになっても同じような答申をするので、
元服後は源姓を賜わって源氏の某《なにがし》としようとお決めになった。

年月がたっても帝は桐壺の更衣との死別の悲しみを
お忘れになることができなかった。
慰みになるかと思召して美しい評判のある人などを
後宮へ召されることもあったが、
結果は この世界には故更衣の美に準ずるだけの人もないのであるという失望を
お味わいになっただけである。
そうしたころ、
先帝——帝《みかど》の従兄あるいは叔父君の第四の内親王で
お美しいことをだれも言う方で、
母君のお后《きさき》が大事にしておいでになる方のことを、
帝のおそばに奉仕している典侍《ないしのすけ》は
先帝の宮廷にいた人で、
后の宮へも親しく出入りしていて、内親王の御幼少時代をも知り、
現在でもほのかにお顔を拝見する機会を多く得ていたから、
帝へお話しした。
「お亡《かく》れになりました御息所の御容貌《ようぼう》に似た方を、
三代も宮廷におりました私すらまだ見たことがございませんでしたのに、
后の宮様の内親王様だけが
あの方に似ていらっしゃいますことにはじめて気がつきました。
非常にお美しい方でございます」

もしそんなことがあったらと大御心《おおみこころ》が動いて、
先帝の后の宮へ姫宮の御入内《ごじゅだい》のことを懇切にお申し入れになった。

🪷蒼白な月影 by まんぼう二等兵🪷

 

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