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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【源氏物語3第一帖 桐壺3】桐壺の更衣を失い 悲嘆に暮れる桐壷帝🍃

 

その年の夏のことである。

御息所《みやすどころ》

皇子女《おうじじょ》の生母になった更衣はこう呼ばれるのである

はちょっとした病気になって、

実家へさがろうとしたが帝はお許しにならなかった。

どこかからだが悪いということはこの人の常のことになっていたから、

帝はそれほどお驚きにならずに、

「もうしばらく御所で養生をしてみてからにするがよい」

と言っておいでになるうちにしだいに悪くなって、

そうなってからほんの五、六日のうちに病は重体になった。

母の未亡人は泣く泣くお暇を願って帰宅させることにした。

こんな場合にはまたどんな呪詛《じゅそ》が行なわれるかもしれない、

皇子にまで禍《わざわ》いを及ぼしてはとの心づかいから、

皇子だけを宮中にとどめて、

目だたぬように御息所だけが退出するのであった。

この上留めることは不可能であると帝は思召して、

更衣が出かけて行くところを

見送ることのできぬ御尊貴の御身の物足りなさを

堪えがたく悲しんでおいでになった。

 

はなやかな顔だちの美人が非常に痩《や》せてしまって、

心の中には帝とお別れして行く無限の悲しみがあったが

口へは何も出して言うことのできないのがこの人の性質である。

あるかないかに弱っているのを御覧になると

帝は過去も未来も真暗《まっくら》になった気があそばすのであった。

泣く泣くいろいろな頼もしい将来の約束をあそばされても

更衣はお返辞もできないのである。

目つきもよほどだるそうで、

平生からなよなよとした人が

いっそう弱々しいふうになって寝ているのであったから、

これはどうなることであろうという不安が

大御心《おおみこころ》を襲うた。

更衣が宮中から輦車《れんしゃ》で出てよい御許可の宣旨《せんじ》を

役人へお下しになったりあそばされても、

また病室へお帰りになると今行くということをお許しにならない。

「死の旅にも同時に出るのがわれわれ二人であるとあなたも約束したのだから、

 私を置いて家《うち》へ行ってしまうことはできないはずだ」

と、帝がお言いになると、

そのお心持ちのよくわかる女も、

非常に悲しそうにお顔を見て、

限りとて 別るる道の悲しきに

 いかまほしきは 命なりけり‥

 死がそれほど私に迫って来ておりませんのでしたら」

これだけのことを息も絶え絶えに言って、

なお帝にお言いしたいことがありそうであるが、

まったく気力はなくなってしまった。

死ぬのであったらこのまま自分のそばで死なせたいと

帝は思召《おぼしめ》したが、

今日から始めるはずの祈祷《きとう》も高僧たちが承っていて、

それもぜひ今夜から始めねばなりませぬというようなことも

申し上げて方々から更衣の退出を促すので、

別れがたく思召しながらお帰しになった。

 

帝はお胸が悲しみでいっぱいになってお眠りになることが困難であった。

帰った更衣の家へお出しになる尋ねの使いは すぐ帰って来るはずであるが、

それすら返辞を聞くことが待ち遠しいであろうと仰せられた帝であるのに、

お使いは、

「夜半過ぎにお卒去《かくれ》になりました」

と言って、

故大納言家の人たちの泣き騒いでいるのを見ると

力が落ちてそのまま御所へ帰って来た。

更衣の死をお聞きになった帝のお悲しみは非常で、

そのまま引きこもっておいでになった。

その中でも忘れがたみの皇子はそばへ置いておきたく思召したが、

母の忌服《きふく》中の皇子が、

穢《けが》れのやかましい宮中においでになる例などはないので、

更衣の実家へ退出されることになった。

皇子はどんな大事があったともお知りにならず、

侍女たちが泣き騒ぎ、

帝のお顔にも涙が流れてばかりいるのだけを

不思議にお思いになるふうであった。

父子の別れというようなことは

なんでもない場合でも悲しいものであるから、

この時の帝のお心持ちほどお気の毒なものはなかった。

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