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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

輝く光る君の誕生🌿【源氏物語 第一帖 桐壺2】💠桐壺帝の狂おしいまでの愛 桐壺更衣への嫌がらせ 輝くように美しい皇子の誕生🌿

住んでいる御殿《ごてん》は

御所の中の東北の隅《すみ》のような桐壺《きりつぼ》であった。

幾つかの女御や更衣たちの御殿の廊《ろう》を 通い路《みち》にして

帝がしばしばそこへおいでになり、

宿直《とのい》をする更衣が上がり下がりして行く桐壺であったから、

始終ながめていねばならぬ御殿の住人たちの恨みが

量《かさ》んでいくのも道理と言わねばならない。

 

召されることがあまり続くころは、

打ち橋とか通い廊下のある戸口とかに 意地の悪い仕掛けがされて、

送り迎えをする女房たちの着物の裾《すそ》が

一度でいたんでしまうようなことがあったりする。

またある時は

どうしてもそこを通らねばならぬ廊下の戸に 錠がさされてあったり、

そこが通れねば こちらを行くはずの御殿の人どうしが 言い合わせて、

桐壺の更衣の通り路《みち》をなくして

辱《はずか》しめるようなことなどもしばしばあった。

 

数え切れぬほどの苦しみを受けて、

更衣が心をめいらせているのを御覧になると

帝はいっそう憐《あわ》れを多くお加えになって、

清涼殿《せいりょうでん》に続いた

後涼殿《こうりょうでん》に住んでいた更衣を

ほかへお移しになって 桐壺の更衣へ休息室としてお与えになった。

移された人の恨みは どの後宮よりもまた深くなった。

第二の皇子が三歳におなりになった時に

袴着《はかまぎ》の式が行なわれた。

前にあった第一の皇子のその式に劣らぬような派手な準備の費用が

宮廷から支出された。

それにつけても世間はいろいろに批評をしたが、

成長されるこの皇子の美貌《びぼう》と聡明さとが

類のないものであったから、

だれも皇子を悪く思うことはできなかった。

有識者はこの天才的な美しい小皇子を見て、

こんな人も人間世界に生まれてくるものかと皆驚いていた。

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古文での【源氏物語 第一帖 桐壺 二】もご覧ください。

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