相模(65番)後拾遺集 恋・815
💠恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ
〜つれない人を恨み悲しんで流す涙で、
乾くときもないこの袖さえ 朽ちずに残っているのに、
恋の噂で朽ちてしまう私の名が 惜しいことです。
🌹相模🌹 さがみ (998〜1068?)
源頼光(よりみつ)の娘、もしくは養女と言われます。
相模守の大江公資(きみより)の妻となり 任国へ一緒に行ったので、
相模と呼ばれるようになりました。
歌論集「八雲御抄(やくもみしょう)」では 女流歌人として高く評価されています。
お父上が、あの酒呑童子退治の源頼光公だなんて凄すぎるっ!(◎_◎;)
頼光四天王の坂田金時殿は金太郎伝説でも知られています🍀
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小さな形で女が一人寝ていた。やましく思いながら顔を掩《おお》うた着物を源氏が手で引きのけるまで女は、
さっき呼んだ女房の中将が来たのだと思っていた。
「あなたが中将を呼んでいらっしゃったから、私の思いが通じたのだと思って」
と源氏の宰相中将《さいしょうのちゅうじょう》は言いかけたが、女は恐ろしがって、夢に襲われているようなふうである。