「俊寛がいまこんな有様になったのも、
あなたの父の謀叛からじゃ。
あなたも知らぬ顔はできぬはずじゃ。
頼む、許されぬとあらば都とまでは言わぬ、
せめてこの船で日向か薩摩の地まで連れて行ってくれい。
あなた方が島にいればこそ、
時には故郷のことも伝えきくことができた。
今わし一人になったら、それもできなくなるのじゃ」
俊寛は少将の袂をつかんで離さぬ。
袂が島と本土とむすぶただ一つの橋のように、
彼は両手でつかんでいた。
俊寛に口説かれた少将は、
もともと気性の優しい人だけに涙ぐみながら、
何んとかこの男に希望を与えようとして懸命に慰めた。
「まことにご尤もの話しと思います。
われら二人が召し帰されるのは嬉しいが、
あなたを見ては行くに行かれぬ気持です。
お言葉通り、船に乗せてお連れしたいが、
上使の方が、それはだめじゃと、
それ、さきほどからくり返して申しておらるる。
許されもしないのに三人一度に島を出たと知れたならば、
こんどはひどいお咎《とが》めがあるかも知れぬ。
今やとるべき道はただ一つ。
わたしが京に帰り、人にも相談をして、
入道殿のご機嫌もうかがって、何んとか取りなすつもりです。
その上で、お迎えの人をさし上げたいと思うのです。
それまで、どうかご辛抱頂きたい。
たとえ、今度の赦免でもれていても、
そのうち必ずお許しがあるはずです」
言葉をつくした少将の慰めも、俊寛の耳には入らなかった。
何んとしても帰りたい一心の彼は、船に飛び乗って、
京に帰るのじゃ、と叫んだかと思うと、
波打際に飛び降りては、潮を浴びたまま、
連れて行ってくれいと号泣するのであった。
帰京の喜びに出発の準備も弾む少将、法師も、
さすがに哀れに思わざるを得なかった。
乏しい持物の中から、二人は形見を残してやった。
少将は夜具、法師は「法華経」である。
やがて船出の時が来た。
ともづなが解かれ、船は押し出された。
一行をのせた船は漕ぎ出された。
だが、俊寛はともづなから離れなかった。
綱とともに海に入った俊寛の腰から胸へと波が洗っても、
彼は船とともにいた。
人びとの制止の声にもかかわらず、背が立たなくなれば、
泳いで船にすがりついた。
そして血を吐くような声で皆に頼んでいた。
「どうしてもわしを見捨てるのか。
お願いじゃ、都とは言わぬ、
九州のどこへでも連れて行ってくれい。
日頃の情をかけて下され」
俊寛の叫びに耳をおおうようにした一行は、
船にとりつく彼の手を払いのけて、
ようやく漕ぎ出すことが出来た。
汀にもどったまま打ち倒れた俊寛は、
泣き叫びながら、足ずりした。
幼児が母親を慕って泣くように、
俊寛は足を砂浜にすりつけて、
喚《わめ》き叫んだのである。
「わしを乗せてくれい、どうか連れていってくれい」
このくり返された叫び声は、
白波を跡に沖へ漕ぎ出す船を何時までもとらえていた。
立ちあがって、
船を探した俊寛の目は涙にくもって、何も見えなかった。
夢中で島の小山の頂に走った彼は、
波のあいだに小さく消える船を見つけた。
今や声もかれ、涙も果てた俊寛は、
ただ両手を何時までも船に向って振りつづけるのだった。
船が暮色の海に溶けるように薄れて消えると、
鬼界ヶ島を夜が包んだ。
一人になった俊寛には、今日一日のことが幻の様に思われる。
抱きつづけていた夢が残酷な現実となった。
打ちのめされた彼のさまよう足取は、
何時しか運命の水際にきた。
一人で苦しむより、むしろ、思いきって死のう、
海に身を投げて命を捨てようと何度も考えた彼を、
思いとどまらせたのは、
かねてから優しい心をみせていた少将に
僅かな希望を託した言葉であった。
思いやりのある彼のことだ、
京に帰れば有力者も身内に多いのだから、
入道にも頼みこんでくれるにちがいない。
そしておれも遅くとも来年には、などと、
夜の浜に打ち伏したまま、
星夜の中に京へのなつかしいおもいをたどるのである。
🌊🎼失意 written by corico
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