三月の二十幾日に京を立つことにしたのである。
世間へは何とも発表せずに、
きわめて親密に思っている家司《けいし》七、八人だけを供にして、
簡単な人数で出かけることにしていた。
恋人たちの所へは手紙だけを送って、
ひそかに別れを告げた。
形式的なものでなくて、真情のこもったもので、
いつまでも自分を忘れさすまいとした手紙を書いたのであったから、
きっと文学的におもしろいものもあったに違いないが、
その時分に筆者はこのいたましい出来事に頭を混乱させていて、
それらのことを注意して聞いておかなかったのが残念である。
【源氏物語 第十二帖 須磨(すま)】
朧月夜との仲が発覚し、追いつめられた光源氏は
後見する東宮に累が及ばないよう、
自ら須磨への退去を決意する。
左大臣家を始めとする親しい人々や藤壺に暇乞いをし、
東宮や女君たちには別れの文を送り、
一人残してゆく紫の上には領地や財産をすべて託した。
須磨へ発つ直前、桐壺帝の御陵に参拝したところ、
生前の父帝の幻がはっきり目の前に現れ、
源氏は悲しみを新たにする。
須磨の侘び住まいで、
源氏は都の人々と便りを交わしたり
絵を描いたりしつつ、淋しい日々を送る。
つれづれの物語に明石の君の噂を聞き、
また都から頭中将がはるばる訪ねてきて、
一時の再会を喜び合った。
やがて三月上巳の日、
海辺で祓えを執り行った矢先に
恐ろしい嵐が須磨一帯を襲い、
源氏一行は皆恐怖におののいた。
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