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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【平家物語40 第2巻 大納言死去①】〜The Tale of the Heike🌊

やがて、

法勝寺執行《しゅぎょう》俊寛、丹波少将成経、平判官康頼の三人は、

清盛の命令で薩摩潟《さつまがた》の鬼界ヶ島《きかいがしま》に

流されることになった。

この鬼界ヶ島とは、都を遠く離れた孤島であり、

便船もろくろく通わないという離れ小島である。

住民は、土着の土民がいることはいるが、体は毛むくじゃらで、

色は真黒く、烏帽子《えぼし》をつけている男もいないし、

女は髪も下げていない。

言葉はてんで通じないという心細さである。

田を耕すすべも知らず、食物は専ら魚鳥を常食としている。

かいこなど飼うことも知らないから、

身にまとっている者はほとんどないという。

まったく原始人そのままの生活が続けられていた。

島の中に高い山があり、年中火を噴いて、

あたりは硫黄が満ちみちていたので硫黄ヶ島とも呼ばれる。

雷がしょっちゅう鳴って雨もよく降る。

とにかく、およそ、

なれない人間の住み得るようなところではなく、

ここに流されることは、

いわば、自然に死を与えるのと同じ結果であった。

 

新大納言成親は、そのうちには、

平家の追窮の手もゆるむかも知れないと、やや期待していたものの、

成経が、今、又鬼界ヶ島に流されるときいて、

もはやこれまでと思い切った。

出家の志を申し出て、法皇からの許しも頂いた。

長年着なれた着衣と引かえに、墨染めの衣に着替えた時は、

さすがに感無量の心持であった。

 

成親の奥方は、

その頃、北山雲林院《うんりんいん》の近くに忍び暮しを続けていた。

唯でさえ住みなれぬ場所はいろいろと心苦労の多いところへ、

世を忍ぶ身はひとしおで、

その日その日をやっとの思いで過している有様であった。

昔は、召使いも家来も多く仕えていたけれど、

平家に、にらまれて以来、

後難を恐れてか訪ねてくる者もなかったが、

唯、一人 源左衛門尉信俊《げんざえもんのじょうのぶとし》だけは、

昔と変りなく、時々訪ねては、何かと面倒を見、

慰めていってくれるのであった。

ある日、奥方は信俊に、

「何でも、殿は一時は備前の児島とかにいられたときいたが、

 近頃は有木の別所におられるという話です。

 何とかしていま一度、お便りを差し上げ、

 できたらあちらの様子も知りたいと思うのだけれど、

 どうにかならないものだろうか?」

と相談を持ちかけた。

「それはよい考えでございます。

 是非私がお使いに参りたいと存じます」

「だが、有木の別所までは、かなりの道のりだそうな、

 どんな危険があるかも知れぬのに」

「何を仰有《おっしゃ》います、

 幼少から殿にはお目をかけて頂いた私、

 未だにそのお声がはっきり耳に残っております。

 ご流罪の時にもお供を願い出て、

 お許しが出なかったのが何よりの心残りでおりました。

 いかなる目にあいましても、

 きっと殿様にお目にかかって参ります。

 是非お文を頂戴いたしとうございます」

うそいつわりのない真心を面《おもて》にみせて、

涙ながらに言う信俊の言葉に、奥方も一方ならず喜んだ。

 奥方始め、若君、姫君の文をふところにして信俊は、

はるばる有木の別所を訪れてきたのであった。

🪻🎼#孤独の夕餉 written by #H.Lang

 

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