非常に崇厳《すうごん》な仏事であった。
五日の間どの日にも仏前へ新たにささげられる経は、
宝玉の軸に羅《うすもの》の絹の表紙の物ばかりで、
外包みの装飾などもきわめて精巧なものであった。
日常の品にも美しい好みをお忘れにならない方であるから、
まして御仏《みほとけ》のためにあそばされたことが
人目を驚かすほどの物であったことはもっともなことである。
仏像の装飾、
花机《はなづくえ》の被《おお》いなどの華美さに
極楽世界もたやすく想像することができた。
初めの日は中宮の父帝の御|菩提《ぼだい》のため、
次の日は母后のため、
三日目は院の御菩提のためであって、
これは法華経の第五巻の講義のある日であったから、
高官たちも現在の宮廷派の人々に斟酌《しんしゃく》をしていず
数多く列席した。
少納言のホームページ 源氏物語&古典 syounagon-web ぜひご覧ください🪷
https://syounagon-web-1.jimdosite.com
【源氏物語 第十帖 賢木 さかき】
正妻の葵の上が亡くなった。
六条御息所も晴れて源氏の正妻に迎えられるだろうと
世間は噂していた。
しかし 源氏は冷たくなり 縁が程遠くなった御息所。
彼女は 悩みながらも斎宮とともに伊勢に下ることにする。
いよいよ出発間近となった。
このまま別れるのはあまりにも忍びないと、
源氏も御息所のもとを訪ねる。
顔を合わせてしまうとやはり再び思いが乱れる御息所だったが、
伊勢へと下って行った。
桐壷院の病が重くなる。
死期を悟った院は朱雀帝に春宮と源氏のことを
遺言で託した後 ほどなく崩御してしまう。 時勢は、
左大臣側から朱雀帝の外戚である右大臣側に移って行った。
朱雀帝の優しい性格もあって、
政治は右大臣に権力が集中していった
💠聴く古典文学📚少納言チャンネルは、聴く古典として動画を作っております。ぜひチャンネル登録お願いします🌷