源氏が伺候した。
正月であっても来訪者は稀《まれ》で、
お付き役人の幾人だけが寂しい恰好《かっこう》をして、
力のないふうに事務を取っていた。
白馬《あおうま》の節会《せちえ》であったから、
これだけはこの宮へも引かれて来て、
女房たちが見物したのである。
高官が幾人となく伺候していたようなことは
もう過去の事実になって、
それらの人々は宮邸を素通りして、
向かい側の現太政大臣邸へ集まって行くのも、
当然といえば当然であるが、
寂しさに似た感じを宮もお覚えになった。
そんな所へ千人の高官にあたるような姿で
源氏がわざわざ参賀に来たのを御覧になった時は、
わけもなく宮は落涙をあそばした。
源氏もなんとなく身にしむふうにあたりをながめていて、
しばらくの間はものが言えなかった。
純然たる尼君のお住居《すまい》になって、
御簾《みす》の縁《ふち》の色も
几帳《きちょう》も鈍《にび》色であった。
そんな物の間から見えるのも
女房たちの淡鈍《うすにび》色の服、
黄色な下襲《したがさね》の袖口などであったが、
かえって艶《えん》に上品に見えないこともなかった。
【源氏物語 第十帖 賢木 さかき】
正妻の葵の上が亡くなった。
六条御息所も晴れて源氏の正妻に迎えられるだろうと
世間は噂していた。
しかし 源氏は冷たくなり 縁が程遠くなった御息所。
彼女は 悩みながらも斎宮とともに伊勢に下ることにする。
いよいよ出発間近となった。
このまま別れるのはあまりにも忍びないと、
源氏も御息所のもとを訪ねる。
顔を合わせてしまうとやはり再び思いが乱れる御息所だったが、
伊勢へと下って行った。
桐壷院の病が重くなる。
死期を悟った院は朱雀帝に春宮と源氏のことを
遺言で託した後 ほどなく崩御してしまう。 時勢は、
左大臣側から朱雀帝の外戚である右大臣側に移って行った。
朱雀帝の優しい性格もあって、
政治は右大臣に権力が集中していった。
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