満願の夜、八王子の社の参詣人の一人で、 奥州の方から上京してきた少年が、突然、気を失って倒れた。 人々がいろいろ手を尽して介抱すると、 まもなく息を吹き返したが、 今度は、よろよろっと起き上ると、 人々の呆然とした顔を尻目に、舞を舞い始めた。 …
藤原氏の専横を抑え、院政の始りを開いた程の、 豪気な帝であった故白河院が、 「賀茂川の水、双六《すごろく》の骰《さい》、 比叡の山法師、これだけは、いかな私でも手に負えない」 といって嘆いたという話がある。 山門の横暴振りは他にも伝わっている。…
安元《あんげん》三年三月五日、 藤原師長《もろなが》は太政大臣、 その後を重盛が襲って内大臣に任命された。 当然内大臣になるべき、 大納言 定房《さだふさ》を越えての栄進であった。 ところで話は二年程さかのぼって安元元年 加賀守《かがのかみ》に任…
「昔 中宮がお庭に雪の山をお作らせになったことがある。 だれもすることだけれど、 その場合に非常にしっくりと合ったことをなさる方だった。 どんな時にもあの方がおいでになったらと、 残念に思われることが多い。 私などに対して法《のり》を越えた御待…
ところで、成親と、動機こそ違え、志を同じくする者は、 まだ幾人かあった。 彼らがいつも好んで寄り集りの場所にしたのは、鹿ヶ谷にある、 これも同志の一人 俊寛《しゅんかん》の山荘である。 ここは、東山のふもとにあり、 後は三井寺に続いた、要害堅固…
雪のたくさん積もった上になお雪が降っていて、 松と竹がおもしろく変わった個性を見せている夕暮れ時で、 人の美貌《びぼう》もことさら光るように思われた。 「春がよくなったり、秋がよくなったり、 始終人の好みの変わる中で、 私は冬の澄んだ月が雪の上…
思い掛けぬ出来事があって、天皇元服の決め事も伸びのびになっていたが、 二十五日に無事に行われた。 基房は、太政大臣に昇任したが、 何となく割り切れない昇級でもあった。 年も明けて、嘉応三年正月、無事に元服が済み、 清盛の娘の徳子(後の建礼門院)…
「女院がお崩《かく》れになってから、 陛下が寂しそうにばかりしておいでになるのが心苦しいことだし、 太政大臣が現在では欠けているのだから、 政務は皆私が見なければならなくて、 多忙なために家《うち》へ帰らない時の多いのを、 あなたから言えば例の…
大臣は女房たちに、身分や年功で差をつけて、 故人の愛した手まわりの品、 それから衣類などを、目に立つほどにはしないで上品に分けてやった。 源氏はこうした籠居《こもりい》を続けていられないことを思って、 院の御所へ今日は伺うことにした。 車の用意…
嘉応《かおう》元年七月十六日、後白河院が出家された。といっても、今まで通り、政務は、続けられていたから、別に変りはなかった。益々わがまま一方になる平家のやり口については、心の内で、何かとご不満を感じていられた様子だったが、それを公けにされ…
源氏はあながちにあせって結婚がしたいのではなかったが、 恋人の冷淡なのに負けてしまうのが残念でならなかった。 今日の源氏は最上の運に恵まれてはいるが、 昔よりはいろいろなことに経験を積んできていて、 今さら恋愛に没頭することの不可なことも、 世…
祇園精舎《ぎおんしょうじゃ》の鐘の声、 諸行無常の響《ひびき》あり。 娑羅双樹《しゃらそうじゅ》の花の色、 盛者《しょうじゃ》必衰の理《ことわり》をあらわす。 おごれる人も久しからず、唯、春の夜の夢のごとし。 猛《たけ》きものもついにはほろびぬ…
その年は喪中のため即位の行事も取やめになったが、暮の二十四日、東の御方、建春門院《けんしゅんもんいん》の腹になる、後白河院の皇子に親王の宣旨《せんじ》があり、明けて、年号が変って仁安《にんあん》となった。この年の十月、この皇子が東宮になら…
友情で書かれた手紙には友情で酬《むく》いることにして、 源氏が来れば人づてで話す程度のことにしたいとお思いになって、 御自身は神に奉仕していた間怠っていた仏勤めを、 取り返しうるほど 十分にできる尼になりたいとも願っておいでになるのであるが、 …
光源氏33歳の夏から35歳冬の話。 源氏の息子夕霧が、12歳で元服を迎えた。 しかし源氏は夕霧を敢えて優遇せず、六位にとどめて大学に入れた。 同じ年、源氏の養女斎宮女御が冷泉帝の中宮に立后する。 源氏は太政大臣に、右大将(頭中将)は内大臣になった。 …
二条帝の葬儀の際の、興福寺と延暦寺の争いは比叡山の僧兵が、 大挙して山を下るという噂《うわさ》が拡がった。 この時誰がいい出したのか、 「何でも、後白河院が、平家追討を叡山の坊主に申付けられたって話だぞ」 といったたぐいの噂が、まことしやかに…
永万《えいまん》元年の春頃から、 病みつき勝ちだった天皇の容態が急変し、 六月には、 大蔵大輔伊岐兼盛《おおくらのたいふいきのかねもり》の娘に生ませた 第一皇子に位を譲られた。 間もなく七月、二十三歳という若さで世を去った。 時に新天皇は二歳と…
西のほうはもう格子が下《お》ろしてあったが、 迷惑がるように思われてはと斟酌《しんしゃく》して 一間二間はそのままにしてあった。 月が出て淡い雪の光といっしょになった夜の色が美しかった。 今夜は真剣なふうに恋を訴える源氏であった。 「ただ一言、…
「あのころのことは皆昔話になって、 思い出してさえあまりに今と遠くて心細くなるばかりなのですが、 うれしい方がおいでになりましたね。 『親なしに臥《ふ》せる旅人』と思ってください」 と言いながら、御簾のほうへからだを寄せる源氏に、 典侍《ないし…
とかく戦乱がうち続き、世の中が騒然としてくると、 倫理とか、道徳といったものが、無視されがちである。 平家一門の栄耀栄華《えいようえいが》の陰には、 敗戦の不運に泣く源氏の将兵があり、 又、天皇と上皇は、 互にけんせいし合いながら、政権をねらう…
仏《ほとけ》も昔は凡夫なり 我等も遂には仏なり。 何《いず》れも仏性《ぶっしょう》具《ぐ》せる身を 隔《へだ》つるのみこそ悲しけれ。 俗謡《ぞくよう》に事よせて、切々と歌い続ける妓王の姿は、 並みいる人の涙をそそるものがあった。 清盛も少しは気…
源氏はまず宮のお居間のほうで例のように話していたが、 昔話の取りとめもないようなのが長く続いて 源氏は眠くなるばかりであった。 宮もあくびをあそばして、 「私は宵惑《よいまど》いなものですから、 お話がもうできないのですよ」 とお言いになったか…
別れるとき、妓王は、居間の障子に一首の歌をかきつけた。 もえ出るもかるるも同じ野辺の草 いずれか秋にあわではつべき 今は得意絶頂の仏さま、 貴女《あなた》だっていつ何時、 私みたいなことにはなりかねないかも知れませんよ。 それは、妓王の精一杯の…
邸を出ようとしていた仏は、たちまち呼び返されて、 清盛の前に連れて来られた。逢ってみると、 何せ、今をときめく白拍子である。 年は若いし、器量は良いし、その上、持ち前の度胸のよさで、 清盛の前に出ても、ハキハキと受け答えする様子が、 いかにも溌…
桃園のお邸《やしき》は北側にある普通の人の出入りする門をはいるのは 自重の足りないことに見られると思って、 西の大門から人をやって案内を申し入れた。 こんな天気になったから、 先触れはあっても源氏は出かけて来ないであろうと 宮は思っておいでにな…
当時、京都には、妓王、妓女《ぎじょ》と呼ばれる、 白拍子《しらびょうし》の、ひときわ衆に抜きん出た姉妹があった。 その母も刀自《とじ》と呼ばれ、昔、白拍子であった。 清盛が目をつけたのは、姉の妓王で、片時も傍を離さずに寵愛していた。 おかげで…
喪服の鈍《にび》色ではあるが 濃淡の重なりの艶《えん》な源氏の姿が 雪の光《あかり》でよく見えるのを、 寝ながらのぞいていた夫人はこの姿を見ることも 稀《まれ》な日になったらと思うと悲しかった。 前駆も親しい者ばかりを選んであったが、 「参内す…
「つれなさを 昔に懲りぬ 心こそ 人のつらさに添へてつらけれ 『心づから』 (恋しさも心づからのものなれば置き所なくもてぞ煩ふ)苦しみます」 「あまりにお気の毒でございますから」 と言って、女房らが女王に返歌をされるように勧めた。 「改めて 何かは…
平家一族は、高位、高官の顕職を、ほしいままにし始めた。 一寸見廻しただけでも、長男 重盛《しげもり》は、 内大臣《ないだいじん》兼 左大将《さだいしょう》、 次男 宗盛《むねもり》は、中納言《ちゅうなごん》右大将、 三男|知盛《とももり》が三位《…
清盛は、五十一歳の時、出家し、浄海《じょうかい》と名乗った。 大病にかかったのが、きっかけで、 さしもの彼も、少しばかり、気が弱くなったらしい。 しかし、たちまち、病は全快、彼はつるつる頭を撫でながら、 「まだ当分生きられるぞ」 といってほくそ…