重盛に先立たれて以来、
清盛は福原の別邸に引きこもったまま、
世間に姿を見せなかった。
何かというと、
清盛の行動を邪魔立てするうるさい重盛であったが、
心の底から
清盛のことを親身に考えている息子でもあった重盛が、
遠く帰らぬ人となってみると、
清盛には、彼のえらさ、
立派さがつくづくわかるように思われてならぬのである。
おのれとはまるで、異質の息子であり、
考え方も随分と違っていた。
しかし、親と子の間をつなぐ強い絆だけは、
しっかりと結びついている。
人の死など何とも思わない清盛が、
重盛の死だけはよほど身にこたえたものらしかった。
十一月七日の夜、地震があった。
不気味な地鳴りが鳴りやまず、
人々は恐ろしさに身の縮む思いであった。
陰陽師《おんようし》、
安倍泰親《あべのやすちか》が内裏にかけつけて、
「この度の地震は、天下に大事の発生する前兆で、
それも年内かこの月のうち、
又もしくは今日のうちという切迫した事態でございます」
と言上した。
内裏じゅうはこの予言に色を失い、
あわてふためいていた。
若い殿上人の中には、
「何をあのへぼ占《うらない》師めが、
人を騒がせおって」
などとあざ笑うものも多かった。
安倍泰親は、
陰陽師として名声を博した晴明の子孫で、
その予言の適確なことでは定評のある人だったから、
彼のいうことに間違いがあるはずはなかった。
続いて十四日、
「清盛入道が数千騎をひきいて、
朝廷に攻め寄せてくるそうじゃ」
という流言が京の町にひろがっていった。
まことしやかなこの噂の出所はハッキリしなかったが、
人心の動揺はいちじるしいものがあった。
関白基房も日頃平家には弱味がある身なので、
この噂におびえた一人である。
彼は早速参内して、
「このたび、清盛入道上洛の一件は、
この基房を滅す計画のようでございます。
どんな目に逢いますことやら、
主上のお身の上も気がかりになってかけつけて参りました」
主上も、この基房の奏上には驚かれたらしい。
「そなたがひどい目に逢うのは、
結局、朕の身を傷めつけることと同じじゃ、
はてさてどうしたものかのう?」
とはらはらと涙を流されたのであった。
🍂🎼#悲しみを超えた先で待つ written by #alaki paca
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