内大臣光源氏の後見のもと、
若い冷泉帝は始め年上の斎宮女御になじめなかったが、
絵画という共通の趣味をきっかけに寵愛を増す。
先に娘を弘徽殿女御として入内させていた権中納言(頭中将)はこれを知り、
負けじと豪華な絵を集めて帝の気を引こうと躍起になった。
宮中でも人々が絵を批評しあうのが流行し、
藤壺中宮の御前で物語絵合せが行われたのをきっかけに、
帝の御前でも梅壺対弘徽殿の絵合せが華々しく催された。
古今の素晴らしい絵が数多く出された中で、
最後の勝負に源氏が出した須磨の絵日記は
その絵の見事さと感動的な内容で人々の心を打ち、
梅壺方が勝利を収めた。絵合せ後、源氏は藤壺に絵日記を献上し、
一方でいつか出家する日のことを思って嵯峨野に御堂の建立を始めた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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