小君を車のあとに乗せて、
源氏は二条の院へ帰った。
その人に逃げられてしまった今夜の始末を源氏は話して、
おまえは子供だ、やはりだめだと言い、
その姉の態度があくまで恨めしいふうに語った。
気の毒で小君は何とも返辞をすることができなかった。
「姉さんは私をよほどきらっているらしいから、
そんなにきらわれる自分がいやになった。
そうじゃないか、
せめて話すことぐらいはしてくれてもよさそうじゃないか。
私は伊予介よりつまらない男に違いない」
恨めしい心から、こんなことを言った。
そして持って来た薄い着物を寝床の中へ入れて寝た。
小君をすぐ前に寝させて、恨めしく思うことも、
恋しい心持ちも言っていた。
「おまえはかわいいけれど、恨めしい人の弟だから、
いつまでも私の心がおまえを愛しうるかどうか」
まじめそうに源氏がこう言うのを聞いて小君はしおれていた。
しばらく目を閉じていたが源氏は寝られなかった。
起きるとすぐに硯《すずり》を取り寄せて
手紙らしい手紙でなく無駄書きのようにして書いた。
『空蝉《うつせみ》の 身をかへてける 木《こ》のもとに
なほ人がらの なつかしきかな』
この歌を渡された小君は懐《ふところ》の中へよくしまった。
あの娘へも何か言ってやらねばと源氏は思ったが、
いろいろ考えた末に手紙を書いて小君に託することはやめた。
あの薄衣《うすもの》は小袿《こうちぎ》だった。
なつかしい気のする匂《にお》いが深くついているのを
源氏は自身のそばから離そうとしなかった。
小君が姉のところへ行った。
空蝉は待っていたようにきびしい小言《こごと》を言った。
「ほんとうに驚かされてしまった。
私は隠れてしまったけれど、
だれがどんなことを想像するかもしれないじゃないの。
あさはかなことばかりするあなたを、
あちらではかえって軽蔑なさらないかと心配する」
源氏と姉の中に立って、
どちらからも受ける小言の多いことを
小君は苦しく思いながらことづかった歌を出した。
さすがに中をあけて空蝉は読んだ。
抜け殻《がら》にして源氏に取られた小袿が、
見苦しい着古しになっていなかったろうかなどと思いながらも
その人の愛が身に沁《し》んだ。
空蝉のしている煩悶《はんもん》は複雑だった。
西の対の人(軒端荻)も今朝《けさ》は
恥ずかしい気持ちで帰って行ったのである。
一人の女房すらも気のつかなかった事件であったから、
ただ一人で物思いをしていた。
小君が家の中を往来《ゆきき》する影を見ても
胸をおどらせることが多いにもかかわらず手紙はもらえなかった。
これを男の冷淡さからとはまだ考えることができないのであるが、
蓮葉《はすっぱ》な心にも愁《うれい》を覚える日があったであろう。
冷静を装っていながら空蝉も、
源氏の真実が感ぜられるにつけて、
娘の時代であったならとかえらぬ運命が悲しくばかりなって、
源氏から来た歌の紙の端に、
『うつせみの 羽《は》に置く露の 木《こ》隠れて
忍び忍びに 濡《ぬ》るる袖《そで》かな』
‥人目に隠れてひっそり涙に濡れる私の袖です‥
こんな歌を書いていた。
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