右大臣家の六の君は
二月に尚侍《ないしのかみ》になった。
院の崩御によって
前《さきの》尚侍が尼になったからである。
大臣家が全力をあげて後援していることであったし、
自身に備わった美貌《びぼう》も美質もあって、
後宮の中に抜け出た存在を示していた。
皇太后は実家においでになることが多くて、
稀《まれ》に参内になる時は
梅壺《うめつぼ》の御殿を宿所に決めておいでになった。
それで弘徽殿《こきでん》が
尚侍の曹司《ぞうし》になっていた。
隣の登花殿などは長く捨てられたままの形であったが、
二つが続けて使用されて今ははなやかな場所になった。
女房なども無数に侍していて、
派手な後宮《こうきゅう》生活をしながらも、
尚侍の人知れぬ心は源氏をばかり思っていた。
源氏が忍んで手紙を送って来ることも
以前どおり絶えなかった。
人目につくことがあったらと恐れながら、
例の癖で、六の君が後宮へはいった時から
源氏の情炎がさらに盛んになった。
🌸🎼 灰の扉 written by のる
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