中宮は悲しいお別れの時に、
将来のことをいろいろ東宮へ教えて行こうとあそばすのであるが、
深くもお心にはいっていないらしいのを哀れにお思いになった。
平生は早くお寝《やす》みになるのであるが、
宮のお帰りあそばすまで起きていようと思召すらしい。
御自身を残して母宮の行っておしまいになることが
お恨めしいようであるが、
さすがに無理に引き止めようともあそばさないのが
御親心には哀れであるに違いなかった。
源氏は頭の弁の言葉を思うと人知れぬ昔の秘密も恐ろしくて、
尚侍にも久しく手紙を書かないでいた。
時雨《しぐれ》が降りはじめたころ、
どう思ったか尚侍のほうから、
木枯《こがら》しの 吹くにつけつつ 待ちし間《ま》に
おぼつかなさの頃《ころ》も経にけり
こんな歌を送ってきた。
ちょうど物の身にしむおりからであったし、
どんなに人目を避けてこの手紙が書かれたかを想像しても
恋人の情がうれしく思われたし、
返事をするために使いを待たせて、
唐紙《からかみ》のはいった置き棚の戸をあけて
紙を選び出したり、
筆を気にしたりして源氏が書いている返事は
ただ事であるとは女房たちの目にも見えなかった。
相手はだれくらいだろうと肱《ひじ》や目で語っていた。
【源氏物語 第十帖 賢木 さかき】
正妻の葵の上が亡くなった。
六条御息所も晴れて源氏の正妻に迎えられるだろうと
世間は噂していた。
しかし 源氏は冷たくなり 縁が程遠くなった御息所。
彼女は 悩みながらも斎宮とともに伊勢に下ることにする。
いよいよ出発間近となった。
このまま別れるのはあまりにも忍びないと、
源氏も御息所のもとを訪ねる。
顔を合わせてしまうとやはり再び思いが乱れる御息所だったが、
伊勢へと下って行った。
桐壷院の病が重くなる。
死期を悟った院は朱雀帝に春宮と源氏のことを
遺言で託した後 ほどなく崩御してしまう。 時勢は、
左大臣側から朱雀帝の外戚である右大臣側に移って行った。
朱雀帝の優しい性格もあって、
政治は右大臣に権力が集中していった。
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