こちらの派手な参詣ぶりに畏縮《いしゅく》して
明石の船が浪速のほうへ行ってしまったことも惟光が告げた。
その事実を少しも知らずにいたと
源氏は心で憐《あわれ》んでいた。
初めのことも今日のことも住吉の神が
二人を愛しての導きに違いないと思われて、
手紙を送って慰めてやりたい、
近づいてかえって悲しませたことであろうと思った。
住吉を立ってから源氏の一行は
海岸の風光を愛しながら浪速に出た。
そこでは祓いをすることになっていた。
淀川の七瀬に
祓いの幣が立てられてある堀江のほとりをながめて、
「今はた同じ浪速なる」
(身をつくしても逢はんとぞ思ふ)
と我知らず口に出た。
車の近くから惟光が口ずさみを聞いたのか、
その用があろうと
例のように懐中に用意していた柄の短い筆などを、
源氏の車の留められた際に提供した。
🍀元良親王(20番)『後選集』恋・961
わびぬれば 今はた同じ 難波(なには)なる
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ🌊
これほど思い悩んでしまったのだから、今はどうなっても同じこと。
難波の海に差してある澪漂(みおつくし)ではないが、
この身を捨てても貴方にお会いしたいのだ。
元良親王(もとよししんのう。890~943)
陽成天皇の第一皇子。大和物語、今昔物語にも登場。
今昔物語には、
「いみじき好色にてありければ、世にある女の美麗なりと聞こゆるは、
会ひたるにも未だ会はざるにも、常に文を遣るを以て業としける」
と書かれるほどでした。
宇多法皇の女御 藤原褒子(ほうし)との熱愛は有名。
🌊澪標のあらすじはこちら↓
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