こんな時に自分などが貧弱な御幣《みてぐら》を差し上げても
神様も目にとどめにならぬだろうし、
帰ってしまうこともできない、
今日は浪速《なにわ》のほうへ船をまわして、
そこで祓《はら》いでもするほうがよいと思って、
明石の君の乗った船はそっと住吉を去った。
こんなことを源氏は夢にも知らないでいた。
夜通しいろいろの音楽舞楽を広前《ひろまえ》に催して、
神の喜びたもうようなことをし尽くした。
過去の願に神へ約してあった以上のことを源氏は行なったのである。
惟光《これみつ》などという源氏と辛苦をともにした人たちは、
この住吉の神の徳を偉大なものと感じていた。
ちょっと外へ源氏の出て来た時に惟光《これみつ》が言った。
住吉の 松こそものは 悲しけれ
神代のことを かけて思へば
源氏もそう思っていた。
「荒かりし 浪《なみ》のまよひに
住吉の 神をばかけて 忘れやはする
確かに私は霊験を見た人だ」
と言う様子も美しい。
🌿🎼忘れえぬ季節 written by のる🌿
🪷澪標(みおつくし)のあらすじはこちらをご覧ください🪷
少納言のホームページ 源氏物語&古典 syounagon-web ぜひご覧ください🪷 https://syounagon-web-1.jimdosite.com
🪷聴く古典文学 少納言チャンネルは、聴く古典文学動画です。チャンネル登録お願いします🪷