山荘の馬を幾疋《ひき》も並べて、
それもここから見える倉とか納屋とかいう物から
取り出す稲を食わせていたりするのが源氏にも客にも珍しかった。
催馬楽《さいばら》の飛鳥井《あすかい》を二人で歌ってから、
源氏の不在中の京の話を泣きもし、笑いもしながら、
宰相はしだした。
若君が何事のあるとも知らずに
無邪気でいることが哀れでならないと
大臣が始終 歎《なげ》いているという話のされた時、
源氏は悲しみに堪えないふうであった。
二人の会話を書き尽くすことは
とうていできないことであるから省略する。
【源氏物語 第十二帖 須磨(すま)】
朧月夜との仲が発覚し、追いつめられた光源氏は
後見する東宮に累が及ばないよう、
自ら須磨への退去を決意する。
左大臣家を始めとする親しい人々や藤壺に暇乞いをし、
東宮や女君たちには別れの文を送り、
一人残してゆく紫の上には領地や財産をすべて託した。
須磨へ発つ直前、桐壺帝の御陵に参拝したところ、
生前の父帝の幻がはっきり目の前に現れ、
源氏は悲しみを新たにする。
須磨の侘び住まいで、
源氏は都の人々と便りを交わしたり
絵を描いたりしつつ、淋しい日々を送る。
つれづれの物語に明石の君の噂を聞き、
また都から頭中将がはるばる訪ねてきて、
一時の再会を喜び合った。
やがて三月上巳の日、
海辺で祓えを執り行った矢先に
恐ろしい嵐が須磨一帯を襲い、
源氏一行は皆恐怖におののいた。
🐎🎼 brightly written by のる🌿
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